R18短編小説

妻に見捨てられた男と後輩の危うい夜

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執筆:編集部(原記事に基づく再編集) 編集部による品質基準審査済み

今の私は、静かな住宅街にあるマンションの一室で、妻と二人の子どもに囲まれながら暮らしている。朝は子どもを起こし、夜は宿題を見て、休日は家族で買い物に出かける。職場では中堅として責任を背負い、家庭では頼れる父親を演じる。外から見れば、何ひとつ欠けていない生活だ。

それでも、妻の視線に以前のような熱が宿らなくなったと気づくたび、胸の奥に冷たい空洞ができる。家族としてはうまく回っている。けれど、男としてはもう必要とされていないのではないか。そんな思いが、ふとした拍子に顔を出す。

その空白を埋めるように、私は十年前の記憶へ戻る。あの頃の私は、まだ誰かに強く求められる感覚を知っていた。しかも、それは甘いだけの思い出ではない。後ろめたさと興奮、嫉妬と依存が絡み合った、どうしようもなく危うい日々だった。

当時、私は地方にある大きな工場で働いていた。学生時代から恋愛には縁が薄く、告白されれば舞い上がり、相手の気持ちを受け止める器もないまま、ただ流されるように交際を続けてきた。大学卒業直前に始まった最初の恋も、就職で遠距離になった途端、熱は急速に冷めていった。三年経っても関係は「後輩と付き合っている」程度のままで、ついに見限られた。あの別れのあと、私は地方の閉じた空気の中で、妙に乾いた日々を送っていた。

そんな春、部署に新入社員の女性が配属された。ここでは仮に奈美子と呼ぶ。彼女の教育係を任された私は、最初こそ、仕事を覚えようとする真面目で快活な後輩として見ていた。配属前の部署説明でも、彼女はほかの新人より積極的で、先輩たちに次々と質問を投げかける姿が印象的だった。物怖じしないのに、どこか不安げで、守ってやりたくなるような危うさがあった。

その頃、ちょうど別の出会いもあった。マッチングアプリで知り合った里香だ。車で一時間半ほどの距離に住む教員で、会ってから一か月ほどで交際に進んだ。穏やかで、こちらを急かさない人だった。その安心感があったからこそ、私は奈美子に対して、あくまで可愛い後輩以上の感情を持たずにいられたのだと思う。

だが、夏の終わりが近づくころから、奈美子は少しずつ私に私生活の話をするようになった。学生時代からの恋人と別れたこと。寂しさを埋めるように男友達との旅行で一線を越えてしまったこと。そうした告白は、私にとって妙に生々しく、そして無防備に聞こえた。仕事の顔しか知らなかった彼女の内側に、ぽっかりとした孤独が見えた瞬間だった。

それからだ。彼女と話すたび、ほのかに漂う匂いが気になるようになった。シャンプーなのか、石けんなのか、それとも若い女の人特有の気配なのか、今でもはっきりしない。ただ、その香りは妙に甘く、会話の内容以上に私の意識を乱した。自分でも、いつからそうなったのか説明できない。

決定的だったのは、残暑の残る九月の社員旅行だった。海沿いの保養所で、日中はバーベキュー、夜は酒と雑談で場が緩んでいく。ベテラン社員たちが盛り上がる輪から少し離れたところで、酔いと暑さに火照った奈美子と二人きりになる時間があった。波の音が聞こえる外へ、私たちは自然な流れで歩き出した。

「先輩……私、人肌恋しいです。今、誰かに触れてほしい……」

その声は、潮風に溶けるほど弱々しかったのに、耳の奥には妙にはっきり残った。振り返った彼女の瞳が、酔いのせいか潤んで見えた瞬間、私は自分でも驚くほど簡単に彼女へ口づけていた。理屈より先に、身体が動いてしまった。

唇が触れた途端、頭の中が一気に白くなった。彼女の匂いが、近すぎる距離で鼻をくすぐる。その甘さに、里香の顔がすっと遠のいた。自分でも信じられないほど、私はその瞬間だけを求めていた。もう後戻りできない、とどこかで理解しながら、それでも止まれなかった。

その夜、私たちは雑魚寝の部屋で、周囲に気づかれないように隣り合って横になった。月明かりが薄く差し込む中、寝息の絶え間をうかがいながら、少しずつ距離を詰める。奈美子は拒まなかった。仰向けになった彼女に、私はまた唇を重ねた。

最初はためらいがあったはずなのに、いったん触れてしまうと歯止めが利かない。静まり返った部屋の緊張、すぐそばで眠る同僚たちの気配、そして自分が何をしているのかという認識が、かえって私を煽った。奈美子も次第に呼吸を乱し、言葉を交わさないまま、互いの熱だけが高まっていった。

その晩は、最後まで踏み込むことはなかった。けれど、朝になりきらない薄明かりの中で、彼女が目を開けるなり、周囲を確かめるようにしてからそっと唇を寄せてきた。その一瞬で、昨夜が夢ではなかったとわかる。私はもう、ただの教育係ではいられなくなっていた。

帰りの車内では、最初こそ何事もなかったように雑談を続けた。だが、海水浴場の人気のない駐車場に車を止めたとき、私は堪えきれずに口を開いた。「昨日は、ごめん。越えてはいけないところを越えたかもしれない」

奈美子は私を見つめ、少しだけ笑った。そして、はっきりした声で言った。「本当に嫌だったら、今こうして隣に座っていません。先輩がいいなら、私はこの先も進みたいです」

その言葉で、また何かが切れた。私は助手席へ身を乗り出し、強く彼女を抱き寄せた。そこから先は、もう引き返す気持ちなど残っていなかった。知り合いに見られにくい少し離れたホテルへ向かい、その夜、私たちは完全に一線を越えた。

罪悪感はあった。もちろんあった。けれど、それを上回るほど、奈美子の若さと熱はまぶしかった。里香との約束がその日の夜に控えていたことも、頭の片隅ではわかっていた。それでも、私は目の前の現実から逃げるように、彼女の求めるままに身を沈めていった。

それから関係は、あっという間に泥沼になった。翌月、奈美子が都内で同期の児島と合コンに行った夜のことだ。帰り際に「会いたい」と連絡が来て、私は彼女をバス停まで迎えに行った。少し酔った頬、甘えるような上目遣い。助手席に乗り込んできた彼女は、私に向かって児島の話をした。

「優しかったです。でも、先輩の顔が見たくなっちゃって」

その一言で、胸の奥に黒い感情が広がった。児島に取られるかもしれない。そんな身勝手な嫉妬が、私の理性をあっさり押し流した。車内で唇を奪い、そのまま前と同じホテルへ向かう。二度目は、最初よりもずっと早かった。

そのころには、私はもう完全におかしかったのだと思う。里香と付き合っているのに、奈美子に会えば触れずにいられない。仕事では平静を装いながら、夜になると別の顔になる。自分が最低だと理解しているのに、やめられない。そんな矛盾の中で、私はずるずると奈美子に依存していった。

やがて、里香の誕生日に有名なテーマパークへ行った日、奈美子から甘いメッセージが届いた。地図アプリを開いていたタイミングで、偶然それを里香に見られてしまい、私は大きな修羅場を迎えた。夢の国で味わうにはあまりに重い空気だったが、必死にごまかして、どうにか破局だけは免れた。

それでも関係は切れなかった。私は残業後の食事を口実に奈美子と会い、暗い駐車場で口づけを交わした。彼女は「ちゃんと彼氏ができるまで、少し甘えさせてください」と言った。その言葉を、私は都合よく受け取っていた。責任は負わないまま、熱だけを共有する。あまりに卑怯で、あまりに甘い日々だった。

だが、奈美子はやがて児島に惹かれていった。真っ直ぐで、責任感があり、彼女をきちんと大切にしようとする男だった。私とは違う。私はただ、欲望と嫉妬に振り回されていただけだ。しかも滑稽なことに、児島からは「奈美子の気持ちを確かめてほしい」と相談まで受けていた。自分が裏で何をしているのかを知っているのは私だけで、そんな状況が余計に私を追い詰めた。

ある夜、いつものように食事を終え、車内でエンジンを止めた。自然な流れでキスをしようとした私を、奈美子は両手でそっと押し返した。

「ごめんなさい、先輩」

その声は静かだった。けれど、はっきりしていた。

「私、児島さんと付き合うことになったんです。だから、もうこういうのは終わりにします」

それが終わりだった。彼女は自分で線を引いた。泥沼から抜け出し、ちゃんとした幸せを選んだのだ。残された私は、空っぽな喪失感だけを抱えた。

翌年、私は都内の本社へ異動になった。物理的に距離ができ、工場での時間は過去になった。最終出勤の日、奈美子に渡したのは、引き継ぎ書と、もう使うことのない名札だった。今思えば、あまりに重く、気味の悪い贈り物だったかもしれない。それでも彼女は涙を浮かべて受け取ってくれた。

東京への異動直後、私は里香にプロポーズした。奇妙なことに、場所はあのテーマパークだった。大きな過ちがあった場所で、私は別の人生の始まりを選んだ。

その後、残業中に児島から社内メールが届いた。デスクに向かうと、たった一言、「奈美子と結婚する」と書かれていた。児島は音楽の趣味が合い、何度もフェスに一緒に行くほど気の置けない友人だった。だからこそ、心から祝福したい気持ちと、裏で自分がしてきたことへの罪悪感が、同時に押し寄せてきた。

しばらくして、奈美子から久しぶりに連絡が来た。妻の手前、連絡を取ることさえためらっていた相手だ。「お話ししたいことがあるので、ご飯に行きませんか」という短い文面に、私は薄い期待を抱きながら返事をした。会う日程が決まった瞬間、履歴は消した。

東京駅の近くで再会した奈美子は、以前より少し大人びて見えた。仕事帰りのビジネスパーソンらしいきりっとした雰囲気があり、あの頃の危うさは薄れていた。「結婚を機に会社を辞めて、東京の会社に転職するんです」と彼女は言った。私は深くは聞かず、祝いの言葉を交わして別れた。

あとから元職場の同僚に聞くと、私が去ったあとの奈美子は少し荒れていたらしい。男性ばかりの職場で、唯一気を許せた相手だった私がいなくなり、彼女は居場所を失ったのだろう。上司と衝突し、飲み会では深く酔い、児島との関係まで口にしていたという。私とのことは、最後の理性で飲み込んでいたようだった。

今になって思う。彼女にとって私は、ただの浮気相手ではなかったのかもしれない。息苦しい職場で、どうにか自分を保つための支えだったのだろう。そう考えると、余計に胸が痛む。

翌年、私の結婚式の二次会には、会社のつながりで奈美子も来た。だが、里香はテーマパークでの一件が忘れられず、招待客の中に彼女を見つけると顔色を変えた。二次会は中止寸前までいったが、なんとか宥めて事なきを得た。あのときの里香の不安げな目は、今でも忘れられない。

それから一年ほどして、児島と奈美子の結婚式に出席した。彼女を見たのは、それが最後だ。同期たちや職場の仲間に囲まれ、晴れやかな顔でバージンロードを歩く姿は、あの頃の彼女とは別人のように見えた。今では子どもにも恵まれ、児島の海外赴任に帯同していると風の噂で聞いている。

あの日から十年が過ぎた。私は今も、妻から男として見られなくなった自分の空白を埋めるように、奈美子の匂い、柔らかな唇、保養所やホテルや駐車場で交わした背徳の熱を思い返してしまう。

私は最低な男だ。彼女の若さを消費し、泥沼に引きずり込み、最後は自分だけ逃げた。それでも、あの狂おしい記憶だけは、平穏で空っぽな日常にしがみつくための、たった一つの支えになっている。

長いあいだ誰にも言えなかったことを、ようやくここに書き残した。これを書き終えたら、私はまたパソコンを閉じて、「良きパパ」の顔に戻るのだろう。そうやって、明日も同じように日常は続いていく。

注意点・失敗例

この記憶には、甘さと同じだけの危うさがある。後輩の孤独に寄りかかり、責任を負う覚悟もないまま関係を深めれば、残るのは相手の傷と、自分の空洞だけだ。

とくに、職場での立場差がある関係は、本人たちが思う以上に周囲へ影響する。感情の高ぶりで走り出したものほど、終わるときは静かで、しかも深く残る。

私が繰り返した失敗は、欲望を正当化しようとしたことだ。相手の言葉を都合よく解釈し、自分の罪悪感を先送りにした結果、誰かの人生にまで影を落とした。

参考情報

  • 本記事は体験記を再構成したものであり、特定の外部資料には依拠していません。

よくある質問

職場の後輩と関係を持つと、どんな問題が起こりやすいですか?
立場の差があるため、片方が断りにくくなったり、周囲に知られたときに人間関係が崩れやすくなります。とくに同じ部署や教育係の関係では、仕事への影響が大きくなります。
既婚者が感情のままに動くと、何が残りますか?
一時的な高揚感のあとに、罪悪感、家庭内の不信、相手への責任問題が残ります。気持ちの整理がつかないまま続けるほど、後から修復が難しくなります。
相手が「今は甘えたい」と言った場合、受け止めてよいのでしょうか?
その言葉だけを根拠に踏み込むのは危険です。関係の境界線を曖昧にしたまま進めると、相手の本音と自分の欲望が混線しやすくなります。
職場恋愛や不倫が発覚した場合、法的な問題はありますか?
不倫そのものは直ちに刑事事件にはなりませんが、離婚や慰謝料請求の争いに発展することがあります。職場規程で懲戒対象になる会社もあるため、就業規則の確認が必要です。
もし同じような関係に巻き込まれそうなら、どうするべきですか?
会う頻度を減らし、二人きりの時間を作らないことが有効です。感情が強くなる前に、家庭・仕事・相手への影響を紙に書き出して冷静に見直すと、踏みとどまりやすくなります。

まとめ

  • 一時の高揚は、長い後悔に変わりやすい。
  • 立場のある関係ほど、境界線を曖昧にしてはいけない。
  • 誰かに求められたい気持ちは、責任から逃げる理由にはならない。
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