高二の夏だった。あの頃の僕は、まだ自分の輪郭をうまく持てずにいて、毎日をなんとなくやり過ごしていた。そんな僕のそばに、いつもTがいた。
Tは、見た目だけ見ればどこか中性的で、メイクも似合う、少し目を引くタイプだった。そのせいか、彼の周りには自然と女の子が集まっていた。笑い声の中心にいることが多くて、でも不思議と壁を作らない。僕は中学からの同級生として、そんなTとずっと気楽に付き合ってきた。帰り道も一緒だったし、気が向けば放課後に寄り道もした。距離が近いのに、妙な緊張はない。そう思っていた。
その日の昼休み、Tが「図書館に行きたいから、ついてきて」と言った。特に断る理由もなく、僕は彼の後ろを歩いた。夏の校舎は蒸し暑く、廊下の空気は重たかったのに、図書館の扉を開けた瞬間、別世界みたいに冷えた空気が頬を撫でた。静かで、涼しくて、眠気すら誘う場所だった。
誰もいないのをいいことに、僕は窓際の風が当たる場所でシャツを少し持ち上げた。汗で張りついた布を胸のあたりまで上げると、ひんやりした空気が肌に触れて気持ちよかった。ほんの数秒、そんなふうに無防備になっていた。
そのとき、戻ってきたTが僕を見て、女の子みたいに高い声を上げた。「キャー!」と叫んで、本を床に落とした。大げさすぎて、僕は思わず吹き出した。
「あ、ごめん。嫌だった?」
そう聞くと、Tは落ちた本を拾いながら、むっとした顔で「嫌じゃないけど、でもわきまえてよ!」と言った。その言い方が妙に真剣で、なのにどこか照れているみたいでもあって、僕はますます笑ってしまった。
「俺の身体なんて見たって興味ないだろ」
冗談めかしてそう言うと、Tは一拍だけ黙った。そして、視線をそらしたまま、小さな声で返してきた。
「だめだよ。君は、その……かっこいいんだから」
その一言で、頭の中が一瞬止まった。何を言われたのか、すぐには飲み込めなかった。Tがそんなふうに僕を見るなんて、考えたこともなかったからだ。けれど、胸の奥が妙にざわついて、下半身のほうまで変に熱を持ったのを覚えている。
Tはそんな僕の反応を見ていたのか、急に僕の袖をつかんだ。「ちょっと……来て……」
声は小さかった。けれど、拒めない強さがあった。
連れて行かれたのは、普段ほとんど人が来ないトイレだった。夏の昼休みなのに、そこだけはやけに静かで、壁の向こうのざわめきが遠くに聞こえた。Tは個室に入ると、慌てた手つきで鍵をかけた。肩で息をしていて、さっきまでの軽口が嘘みたいに、顔が赤い。
「あ、あの……」
言葉がうまく出てこない様子だった。僕が「落ち着けよ。ゆっくりでいい」と言うと、Tは唇を噛んで、それでも視線を上げた。
「君が、男の人が好きじゃないってのは、わかってるんだけど……」
そこで一度、息を飲む。たったそれだけの沈黙が、やけに長く感じた。
そして、Tは絞り出すように言った。
「その……、してほしい。口で、してほしい」
僕は完全に固まった。冗談のつもりで流せる空気でもなかったし、Tがどれだけ勇気を出しているのかも、顔を見ればわかった。耳まで真っ赤で、今にも逃げ出しそうなのに、目だけは僕からそらさない。あの瞬間、僕はからかうのも、断るのも、どちらも違う気がした。
だから、わざと軽く笑ってみせた。
「いや、むしろ俺のほうがお願いしたいと思ってたんだよ」
強がり半分、照れ隠し半分だった。けれどTは、それを真に受けたみたいに目を丸くして、それからぱっと表情をほどいた。
「え、ほんと? うれしい……」
その反応があまりにも素直で、僕のほうが逆に逃げ場を失った。もう後戻りはできない。そう思った瞬間、変に落ち着いてしまったのを覚えている。
僕はTを便座に座らせた。狭い個室の中、二人分の呼吸が近い。夏の熱気と、図書館の冷えた空気が入り混じって、妙に現実感が薄かった。僕は制服のズボンを整え、少し躊躇してから、彼の目の前にそれを差し出した。
Tは、しばらくじっと見つめていた。まるで本当に観察しているみたいに、真剣だった。そして、そっと手を伸ばすと、指先でやさしく包み込むように支えた。
その丁寧さに、僕は思わず息をのんだ。
次の瞬間、Tは先端に唇を寄せた。最初はためらうように、でもすぐに熱を込めて、舌で確かめるように触れてきた。僕の体はびくりと震えた。思っていた以上に感覚が鋭くて、声にならない息が漏れた。
Tはその反応を見て、少しだけ笑ったようだった。からかっているというより、嬉しそうだった。そうして、ゆっくりと深くくわえ込む。息が詰まるような感覚と、じわじわ広がる快感がいっぺんに押し寄せてきて、僕は壁に手をついた。
これまで女の子との経験はあった。けれど、そのときとはまるで違った。熱の伝わり方も、包まれ方も、何もかもが生々しくて、頭の中が白くなっていく。僕が「女の何倍も気持ちいい」とこぼすと、Tは口を離さないまま、目だけで笑った。
「ふふ、そうでしょ。でも今は、他の女の話しないで。僕だけ見てて」
その言葉は、甘いのに、妙に刺さった。僕は何も言い返せなかった。ただ、彼の動きに身を預けるしかなかった。Tはためらいを知らないわけじゃないのに、いったん踏み出すと、驚くほど大胆だった。口の熱、舌の動き、呼吸の合間にこぼれる小さな音。その全部が僕を追い詰めていく。
やがて限界が近づいて、僕はTの肩をつかんだ。もう抑えがきかなかった。最後は一気に力が抜けて、彼の口の中で果てた。Tは驚くほど落ち着いていて、何事もなかったように受け止めたあと、静かに飲み込んだ。
その様子を見た瞬間、僕はなぜか言葉を失った。恥ずかしさもあった。でも、それ以上に、Tがあまりにも自然にそこにいて、僕の中へ入り込んできたことが不思議だった。
個室の鍵を外して外に出るまで、僕らはほとんど話さなかった。廊下に戻ると、さっきまでの熱が嘘みたいに引いて、いつもの学校の空気がそこにあった。昼休みのざわめき、遠くで鳴るチャイム、窓から差し込む白い光。全部が、さっきの出来事を隠してくれるようだった。
教室へ戻る途中、Tは何でもない顔をしていた。僕もそうした。互いに顔を見合わせれば、すぐに何かが崩れてしまいそうだったからだ。
それから先も、Tとは妙な関係が続いた。たまに、ふたりきりになったときだけ、あの続きのようなことが起きた。教室ではふざけているだけなのに、ふとした仕草でこちらを挑発してくることもあった。わざと意味ありげに笑ったり、目を合わせたまま口元を指でなぞったり。そういうときのTは、ただの友達ではなかった。
僕は自分がどうなっていたのか、今でもうまく説明できない。たぶん、怖さもあったし、戸惑いもあった。けれど、それ以上に、Tが見せた勇気と、あの夏の密室の空気が、ずっと胸の奥に残っている。
あの昼休みから、僕らの距離は少しだけ変わった。たぶん、もう元には戻らなかったのだと思う。
今でも、あのときのTの声を思い出すことがある。強がりと照れが入り混じった、あのか細い声だ。あれは、ただの出来事ではなく、僕の中の何かを確かに揺らした夏の記憶だった。
そして、あの狭い個室で交わした視線だけは、なぜだかずっと消えずに残っている。