自分は、都内の一等地にある一軒家でレッスンをしている。ゴルフを教えるのが本業だが、客との距離感が妙に近いせいか、いつの間にか変な噂まで立つようになった。結果は出している。だからこそ、嫉妬も好奇の目も向いてくる。
「ねぇ、あなた。ゴルフ教えてるついでに、変なことしてるって本当?」
その日、自分は断りきれない上客である優子の誕生日会に呼ばれていた。会はもう終わりかけで、みんなそれぞれ知り合い同士で固まっている。自分と、そこにいたサヤだけが輪の外に残り、気づけば部屋の隅で向かい合っていた。
サヤは、優子から何かしらの噂を聞いてきたらしい。視線は鋭いのに、どこか面白がっているようでもあった。
「優子さん、本当に上手くなりましたよね。聞きましたよ、この間、80台が出たって」
「知ってるわよ。一緒にゴルフしてたから」
少しむっとしているようにも見える。優子に対する対抗心があるのかもしれない。そう思った。
「ゴルフ始めて、どのくらいですか?」
「丸二年かな」
「スコアは?」
「だいたい100くらい」
「そうですか。お名前は?」
「サヤ。岡田紗佳に似てるって言われる」
自分は、少しだけ笑った。サヤは続けた。
「私、ゴルフにハマってる人の手を見ると、なんとなくアドバイスできるかもしれません。手、見せてもらえます?」
「そう言って、セクハラするんでしょ?」
「別に、優子さんに勝とうとか、そういうのじゃないから」
言い返したくなる気持ちもあったが、相手するのが面倒になって、携帯を開いた。明日の来客の練習メニューを確認する。すると、サヤが画面を覗き込んできた。
「ちょっと何それ? 明日の予定?」
「はい」
「結構お客入ってるわね。それ、練習メニュー?」
「ええ、真面目にやってますから」
「エッチなサービスないと、レッスン受けられないんでしょ?」
サヤは、そういう噂を半分信じているのか、からかっているのか、判別しづらかった。ただ、彼女の目は本気でゴルフを上手くなりたい人のそれでもあった。
「ゴルフも、一回やり始めたら、納得するレベルまで上手くなりたいって思いますよね」
「だめなの?」
「あいにく、お客様、一杯でして」
本音を言えば、休日を削れば一人くらいはねじ込めた。だが、ただのレッスンだけでは、正直なところ割に合わない。サヤはかなりスタイルが良く、香水の匂いも強くて、近くにいるだけで妙に意識してしまう。
そのとき、サヤが自分の手を取ってきた。見てくれ、ということだろう。
「ああ、サヤさん、かなり練習してますね。ただ、クラブの握り方が少し良くないかもしれません」
「……」
「ボール、左に曲がりませんか?」
「……確かに」
「っていう具合に、真面目にやってますから」
少しだけ、主導権を取り返せた気がした。
そこへ、酔いの回った優子がやってきた。
「コーチ! サヤもゴルフ上手くなりたいって言ってたから、よろしくね!」
「優子さん、ありがとうございます」
優子は満足そうに笑うと、また別のテーブルへ戻っていった。
「優子さん、ああ言ってるけど?」
「無理です」
「優子さんに、断られたってチクろうかな?」
「……条件があります」
「エッチなやつでしょ?」
「はい。サヤさんがベストスコアを更新したら、恋人デートして下さい」
サヤは、呆れたように笑った。
「ほら、そういうことでしょ?」
「さっきから、サヤさんの香水の匂い、すごく良くて。サヤさんもスタイル良いし……はっきり言って、惚れそうです」
自分でも少し大胆すぎると思った。けれど、口にした瞬間、妙に気持ちが定まった。
「私にチャンスを下さい」
「どうしても?」
「どうしても!」
「……はぁ、わかったわ。ベストスコア更新したら、考えるわよ」
「よっしゃ」
「あと、私が課す練習メニューは必ずやって頂きます。あと、質問には素直に答えてください」
「考えるだけよ。デートするとは言っていないから」
それでも、連絡先は交換できた。飲み会が終わるのを待つあいだ、二人の間には妙な緊張感が残っていた。
それからサヤは、自分の貴重な週一回の休みに合わせて来るようになった。
「サヤさん、握り方はこっちに変えましょう」
「……はい」
一応、練習に来れば話は素直に聞く。だが、近くに立つたびに香水の匂いがふわりと来る。集中したいのに、頭のどこかが落ち着かない。
「サヤさん、ゴルフの後半に左に行くのは……」
「へぇ……私、逆だと思ってた」
「力が入り過ぎて、ボールが左に飛んでいくのかと思った」
「結構、真逆のこと考えてることが多いんです」
「やはり、スムーズに振って、真っすぐ行くようにするとゴルフがもっと楽しくなりますよ」
「うーん、それっぽいこと言うわね」
「……あの、一応プロですから」
「それと、いつも私が来るとき、ほかのお客がいないのは、私のこと狙ってるから? そういうの辞めてね」
「いえ、自分の休日を返上しているので、他のお客は入れていません」
「……」
「あの……香水、いつも香りが良くて。ちょっとその気になりそうなので、控えて頂くことは可能でしょうか?」
「そんなに良い匂い?」
「はい。自分も汗が気になるので、おすすめのものがあったら教えてほしいです」
「私、そういう会社やってるから、いくらでも知ってるわ」
「なるほど、納得いきました!」
サヤは、男性につけてほしい香水の話までしてきた。自分は、彼女が好きな匂いに合わせるつもりでいた。
「それとゴルフクラブですが、少し買い直しませんか? 特にドライバーは、左にいかないような難しいモデルを使っているので、変えたほうが良いかもしれません」
「知り合いにゴルフクラブを売ってるやつがいるので、安く手に入りますよ?」
「なんか、だんだんあなたのペースになっていくのが納得いかないけど、いいわ。付き合ってあげる」
その日は、練習のあとに香水とゴルフクラブを買いに、サヤと出かけた。これをデートと呼んでいいのか、まだ自信はなかった。
優子とサヤは、ちょくちょくゴルフに行っているらしかった。あるとき、優子から連絡が入る。
「コーチ、サヤ、すげー上手くなってるじゃん?」
「サヤとエッチしたの? え? どうなのよ?」
「してませんよ」
「してるなら言ってよ。サヤは親友だからさ。邪魔したくないから」
自分は、思わずため息をついた。
思い返すと、サヤに教え始めて三か月ほどで、他の客からセックスを求められる回数は極端に減り、ついにはなくなっていた。妙な静けさだった。だが、それはそれで、サヤとのやり取りが日常を占めるようになっていた。
「サヤ、もう、毎回余裕で80台出てるよ」
「……」
完璧にベストスコアを更新している。約束では、更新したら恋人デートを考えてくれるはずだった。だが、サヤは何も言わない。
うまくいっているのに、なぜか胸の奥がざわついた。自分は男として見られていないのかもしれない。そんな不安が、じわじわと広がっていった。
次のレッスンの日、思い切って切り出した。
「サヤさん、優子さんから聞いたのですが、もう80台が出てるそうじゃないですか……」
「……」
「言って下さいよ。練習の内容も変わってくるんですから。今日からボールを左右に曲げる練習しましょう!」
その夜、珍しくサヤからメールが届いた。
「ごめんなさい、ベストスコア隠してました。恋人デートがちょっと怖くて……」
画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
「全然OKです。ベストスコア、本当におめでとうございます!」
すぐに返した。嬉しかった。隠されていたことより、ちゃんと打ち明けてくれたことのほうが、よほど大きかった。
「こんなに早く、ベストスコアが出るとは思わなくて……」
「やっぱり他の女の子と遊んでる人とデートするのは、正直……気が進まないんだよね」
その文を読んで、自分は少し笑ってしまった。図星だったからではない。サヤが本気で悩んでいるのが伝わったからだ。
「そうですよね。そうだと思います。メールで失礼かもしれませんが、僕、サヤさんのこと好きでした。久々に本当に好きな人ができて幸せでした」
送信したあと、胸が少し軽くなった。
「ごめんなさい」
返ってきた言葉は短かった。けれど、その短さが逆に、もう逃げないという意思にも見えた。
次のレッスンの日。
「それでは、いつも通り練習始めていきましょう」
「はい」
「マミさん、上手くなったので、反復練習をとにかく続けましょう」
この頃には、サヤの名前を口にするたび、少しだけ距離の近い空気が流れるようになっていた。香水の匂いは前ほど強くない。代わりに、練習で汗をかいたあとの、少し生々しい匂いがする。
その匂いに、どうしても意識が持っていかれる。だから自分は、少し距離を取った。
「この前、メールで傷つけたかもしれない。ごめんなさい」
「あ、いえいえ、とんでもないです。そんな」
「なんか、今日、距離取られるって感じがして」
「いや、マミさんの汗の匂い、嗅ぐとちょっと興奮してしまって……ごめんなさい、変態ですね。忘れてください」
「あ、あ、あのさ、恋人デートじゃなくて、普通の食事に行かない?」
「もう無理です。マミさんのこと好きだから、行くなら恋人デートにして下さい!」
「どうしても?」
「どうしてもです!」
「……もう」
その一言で、何かが決まった気がした。
その日、サヤと夕方からデートすることになった。ゴルフウェアを見て回り、そのあと食事をする流れだ。
「色々なブランドから、ゴルフウェア出すようになったよね」
「確かに。スポーツブランド以外からも出してきて、本当におしゃれになったよ。僕は苦手だけどね」
「そう、じゃあ私が選んであげる!!」
「ガチで嬉しいです。ありがとうございます!」
サヤは自分で選んだものを買い、自分はサヤが選んでくれたものを買った。どちらも妙に似合っていて、少しだけ笑ってしまう。
食事は個室のステーキ店だった。赤ワインが進むにつれて、二人とも少しずつ酔っていく。
「私のこと好きって言ってたけど、好きになってから、どんだけの人とイチャイチャしたの?」
「いや、正直、誰ともイチャイチャしてないんですよね。求められることもなかったですし、もちろん求めることもなかったですよ」
「えー、本当に?」
「だから、本当に好きなんだってば」
「本当に?」
「こう言える立場じゃないですけど、マミさんに嘘はつきません!」
サヤは、しばらく黙っていた。やがて、ふっと表情を緩める。
「わかった、わかった。本気で恋人デートするわ!」
「よっしゃ!」
店を出ると、サヤは自然に腕を組んできた。平日のレストラン街は空いていて、エレベーターが来るのを二人で待つ時間さえ、妙に甘かった。
サヤが、耳元で囁く。
「ねぇ、好きって言って」
「好き。ガチで好き」
「私も好き」
エレベーターに乗ると、ほかに誰もいない。扉が閉まった瞬間、空気が変わった。
「ねぇ、もっと好きなら好きって言って」
「サヤ、好き」
目が合う。次の瞬間、唇が触れた。
「チュ、ん……」
サヤとキスができた。心臓が一気に跳ねる。こんなふうに、相手の体温をまっすぐ受け止めるのは久しぶりだった。
サヤが突然、エレベーターの階数ボタンを押した。
「?」
「この階でちょっと降りよ?」
腕を組んだまま、サヤが行きたい方向へ歩いていく。
「あ、あそこ、あそこ」
たどり着いたのは、女性のランジェリーショップだった。
「ここは、ちょっと、入れないよ」
「ねぇ、カズキはどういうのが好き?」
「……」
「今履いてるの、地味かも。カズキ喜んでくれないかも」
そう言うと、サヤは軽く笑って、店の中へ消えていった。
小声で「せっかくだから、エロいの買ってくるね!」と告げられ、自分は慌てて駅近くのホテルを予約した。
しばらくして戻ってきたサヤは、少し頬を赤くしていた。
「お待たせ! もう買ったの着てるからね!」
「……」
「?」
「ねぇ、ホテル行きたい」
「……うん」
ホテルに着くまでの間、二人は何度もキスをした。エレベーターの中でも、息が詰まるほど近かった。
「はぁ、はあ、カズキ、好き、チュ」
「サヤ……好き」
部屋に入るなり、自分はサヤをベッドへ仰向けにした。
「シャワー、浴びないの?」
「その前にイチャイチャしたい」
言葉にすると、もう止まらなかった。仰向けになったサヤに深く口づける。舌が絡むたび、彼女の呼吸が乱れるのがわかった。
「チュ、え、エロい……ね」
服の上から、サヤの胸を抱くように触れる。柔らかくて、熱がある。
「サヤの胸、柔らかい」
「あっ! う、うん、ありがとう」
深いキスと、触れ合う体温に酔うようだった。
「ちょ、ちょっと潜っちゃダメ!」
「あ、うん! くっ! シャワー浴びてからって! あっ! アン、そんな、あっ!」
サヤのロングスカートの内側へ顔をうずめると、彼女は戸惑いながらも、次第に声を漏らした。先ほど買った下着の上から、丁寧に、ゆっくりと愛撫する。
「汚れちゃうよ」
そう言いながらも、サヤは自分を止めなかった。
下着を外すと、そこには、ずっと見たかったものがあった。感動に近い熱が胸の奥から込み上げる。
「舐めるね」
「ね、ね! シャワー浴びてから、ちょっと汚いって! あっ! くっ! 舌入れちゃダメだって……」
「あ! そこっ! 気持ちい!! はぁはぁ、もっと、舐めて」
サヤの声が、部屋の空気を震わせた。レッスンのときの強気な顔とは違う、素直で、熱っぽい顔だった。自分はその変化に、どうしようもなく惹かれていた。
夜は、まだ始まったばかりだった。