大学生だった私は、就職活動の渦中で、ひどく不意打ちのような形で尊厳を踏みにじられた。
当時の私は二十一歳。身長は百五十八センチで、細身。黒いロングヘアを背中まで落としていて、見た目だけならどこにでもいる女子大生だったと思う。けれど、その頃の私はかなり追い詰められていた。第一志望だったテレビ業界は思うように通らず、周囲の友人たちは次々と内々定を手にしていく。焦りだけが、じわじわと胸の奥に溜まっていった。
志望先を広げるしかなかった。業界を絞っている余裕なんてない。そんな中で受けた会社のひとつが、不動産会社だった。正直に言えば、本命ではなかった。それでも、知名度も待遇も悪くない。ここで決まれば、就活の苦しさから抜け出せる。そんな切実さがあった。
二次面接の会場に入ったとき、面接官は人事部長ひとりだけだった。これまで受けた面接は、複数人で進むことが多かった。だから、たったひとりと向き合う形は妙に静かで、どこか落ち着かなかったのを覚えている。最初の数分は、志望理由や学生時代の話など、ありふれた受け答えだった。私は少し安心していた。少なくとも、普通の面接には見えたから。
ところが、空気は急に変わった。
「立って」
そう言われ、私は戸惑いながら椅子から立ち上がった。次に返ってきた言葉は、信じがたいものだった。
「上着、脱いで」
意味が分からなかった。けれど、面接の場で逆らうという発想がすぐには浮かばない。私は曖昧に返事をして、言われるままに動いてしまった。
「胸元、苦しくない? ブラウス、もう少し開けたら」
人事部長はそう言いながら、じりじりと距離を詰めてきた。私は嫌な予感を覚えたが、うまく言葉にできなかった。
「別に……」
「ちょっと触るね。セクハラとかじゃないから」
その言い方が、むしろ異様だった。私は思わず止めてくださいと言った。けれど、その声は弱く震えていて、自分でも情けなくなるほど頼りなかった。相手の手を振り払うことができない。立ち上がって逃げることもできない。頭の中では危険だと分かっているのに、体が動かなかった。
最初は、胸元を軽くなぞるような触れ方だった。だが、それはすぐに強い圧を伴うものに変わった。私は混乱していた。大学では、就活生がセクハラに巻き込まれないよう注意を受けていた。けれど、現実に自分の身に起きるなんて考えたこともなかった。しかも、私が想像していた「セクハラ」は、せいぜい不快な発言や視線のことだと思っていた。まさか、面接室でこんなふうに体を触られるとは思っていなかった。
怖かった。
それでも、頭のどこかでは別の考えが渦を巻いていた。ここで怒らせたら落とされるかもしれない。せっかくここまで来たのに。テレビ業界を諦めた今、どうしても内定が欲しい。そんな焦りが、私をなおさら黙らせた。自分でも信じられないが、その瞬間の私は、拒絶するよりも「終わるまで耐えればいい」と考えてしまっていた。
人事部長は、私の反応を面白がるように見ていた。
「菜穂ちゃん、従順でいいね」
その言葉に、ぞっとした。名前を呼ばれるたびに、面接というより、別の何かに巻き込まれている感覚が強くなる。
「もっと見せてよ。ブラ、外そうか」
私は首を振るしかなかった。すると、相手は私のブラウスのボタンに手を伸ばし、ためらいなくそれを外していった。布の隙間に指が入り、次の瞬間には下着の留め具まで外される。私は息を止めた。体の中が冷たくなっていくようだった。
人事部長は、私の胸元を見て、満足そうに笑った。
「きれいだね。どう触られるのが好き?」
私は何も答えられなかった。涙が出そうなのを必死でこらえながら、ただ視線を落とす。
その後の時間は、長く、ひどく不快だった。手のひらで強く揉まれ、つままれ、しつこく触られた。相手は何度も「気持ちいいだろ」と確認してきたが、私にはそんな感覚は一切ない。ただ、早く終わってほしい。その一心だった。
やがて、相手の要求はさらに露骨になった。
「次は下、見せてよ」
私は咄嗟に、準備していた嘘を口にした。
「今日は……生理なので」
本当ではなかった。でも、その場を切り抜けるためには、そう言うしかなかった。ところが人事部長は少しも動じなかった。
「ふうん。じゃあ、口でしてくれる?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。けれど、すぐに意味が追いついてきて、全身の血の気が引いた。
「フェラってこと。知ってるでしょ。彼氏にもやるでしょ」
私は固まった。息が詰まる。逃げるべきだと分かっているのに、足が動かない。拒否したらどうなるのか、考えるだけで怖かった。ここで終われば、二次面接は不合格になるかもしれない。そんな思いが、最悪の選択を飲み込ませた。
「……分かりました」
口にした瞬間、自分が壊れていく音がした気がした。
人事部長はスラックスを下ろし、私の前に立った。私はしゃがみ込み、震える手で距離を詰めた。唇が触れた瞬間、もう引き返せないと悟った。少しずつ、必死に、言われるままに動く。相手は気持ち悪いほど楽しそうに、あれこれ指示を飛ばしてきた。
「もっと丁寧に」
「上目づかいで見て」
「いい子だね」
そのたびに、私は自分が人間ではなく、何かの道具にされているような気分になった。口の中に広がる違和感と、耳元で繰り返される卑しい声。面接室なのに、そこだけが現実から切り離された異常な場所に思えた。
途中で、かすかな機械音がした。
私は顔を上げて、はっきりと嫌だと伝えた。
「写真、撮るのやめてください」
すると相手は、悪びれもせずに笑った。
「可愛い顔、残しておきたくてさ。誰にも見せないよ。それより時間、なくなるよ」
その言葉は、脅しに近かった。私はもう、ただ早く終わらせることしか考えられなかった。落ちたくない。これ以上、心を折られたくない。その一心で、私は必死に動いた。
やがて、相手の呼吸が荒くなっていくのが分かった。後頭部をつかまれ、さらに深く押しつけられる。私は苦しさに耐えながら、ただ時間が過ぎるのを待った。最後に相手が満足したような声を漏らしたとき、私はもう立っているのもつらかった。
「はい、合格。帰っていいよ」
その一言を聞いたとき、安堵より先に、強い嫌悪感が込み上げてきた。私は震える声で礼を言い、どうにか面接室を出た。ブラウスを整え、乱れた身なりを直す。足元はふらついていた。
廊下へ出る直前、背後からまた声が飛んできた。
「ちなみに、今日って生理何日目?」
私は意味が分からなかった。けれど、関わりたくない一心で、適当に答えてその場を離れた。
外に出た瞬間、空気が違って感じられた。息を吸うたび、胸の奥が痛んだ。怒りも、恐怖も、羞恥も、すぐには言葉にならない。ただ、早く帰りたかった。
この出来事は、私の就活の中でも最初に受けた大きな被害だった。帰宅してから、私はしばらく泣き続けた。大学生の一人暮らしだったから、誰の目も気にせず、ただ部屋の中で崩れ落ちることができた。
それでも、翌日になると、不思議なほど少しだけ落ち着いていた。過ぎたことは変えられない。ならば、今さら悩み続けても仕方がない。そう自分に言い聞かせて、私は次の面接に向かう準備を始めた。最終面接まで進めば、まだ道はある。そう信じたかった。
けれど、あの面接室で感じた冷たさと屈辱は、簡単には消えなかった。私はあの日以降も、何度も同じ場面を思い返すことになる。あのとき、もっと早く立ち上がれていたら。そう考えてしまう夜が、何度もあった。
それでも、あの瞬間の私は、ただ必死だった。内定が欲しかった。就活に勝ちたかった。自分の未来をつかみたかった。だからこそ、あんな相手の前で、あそこまで追い詰められてしまったのだと思う。
この続きは、また別の機会に書くつもりだ。
続きへつながる気配
面接室を出たあと、私は何度も深呼吸をした。喉の奥にまだ嫌な感覚が残っていて、飲み込むたびに胸がざわついた。駅までの道のりは、いつもよりずっと長く感じた。
家に戻ってからも、すぐには何も手につかなかった。カバンを床に置いたまま、しばらく玄関先で動けない。ようやく部屋に入って、ベッドに倒れ込んだとき、ようやく涙が止まらなくなった。
それでも翌朝には、少しだけ現実に戻らなければならなかった。面接の予定はまだある。逃げるわけにはいかない。私は何度も鏡を見て、乱れた自分を整えながら、次の選考に向かう心の準備をしていった。
あの会社で何が起きたのか。私がそのあと何を考え、どう動いたのか。続きは、まだ終わっていない。

注意点・失敗例
就職活動の場では、面接官が一人きりの状況や、個室での対応に強い違和感があった時点で、できるだけ記録を残すことが後の助けになります。会話の内容、日時、場所、相手の所属などは、思い出せる範囲で整理しておくとよいでしょう。
その場で強い拒否が難しいこともあります。だからといって、相手の要求に従うしかないわけではありません。面接後に大学のキャリアセンターや相談窓口へ共有する、企業の問い合わせ窓口に記録を残す、必要なら外部機関に相談するなど、後から取れる手段はあります。
ひとりで抱え込むと、相手の言葉を自分の責任のように感じてしまいがちです。けれど、採用の場を利用した不適切な要求は、受けた側の落ち度ではありません。まずは安全を確保し、信頼できる人に話すことが先です。
また、就活では「落ちたくない」という気持ちが判断を鈍らせやすいものです。少しでも不審な要求があれば、その場で無理に合わせず、退出や中断を考えてください。自分の進路よりも、心身の安全を優先する場面があります。
参考情報
- 厚生労働省「ハラスメント対策」
- 厚生労働省「職場におけるセクシュアルハラスメント対策」
- 内閣府 男女共同参画局「セクシュアル・ハラスメント」
よくある質問
- 就活面接で不適切な要求を受けたら、まず何をすべきですか?
- まずはその場を離れて安全を確保してください。面接の日時、相手の肩書、言われた内容をできるだけ早くメモし、大学の相談窓口や信頼できる人に共有するのが有効です。
- 面接官が一人だけの面接は危険ですか?
- 一人だから必ず危険というわけではありませんが、密室での個別対応は圧力が強くなりやすいです。違和感のある質問や身体接触があれば、通常の面接ではなくなっていると考えてください。
- 後から証拠がなくても相談できますか?
- できます。録音や録画がなくても、時系列のメモ、メール、面接案内、当日の移動履歴などが手がかりになります。記憶が新しいうちに整理するほど相談しやすくなります。
- 相手が採用担当者でも、性的な要求は違法ですか?
- 採用の場での身体接触や性的要求は、セクシュアルハラスメントに当たる可能性が高いです。状況によっては民事上の責任や企業の安全配慮義務が問題になります。
- 就活を続けたい場合はどう動くのが現実的ですか?
- その企業への応募を続けるより、まずは別の選考に切り替えるほうが現実的です。大学のキャリアセンター、就職支援課、外部の相談窓口を使いながら、被害の整理と次の応募先の確保を同時に進めてください。
まとめ
- 就活の場でも、身体接触や性的要求は許されません。
- 違和感を覚えたら、その場を離れて記録を残すことが有効です。
- ひとりで抱え込まず、大学や相談窓口につなぐことが回復の第一歩です。