六十を越えた今でも、夜になると妻は当然のように私を求めてくる。若いころから変わらないその強さに、驚くというより、もう半ばあきらめに近い感覚で応えてきた。けれど、身体のほうは正直だ。昔のようにはいかない。気持ちはあっても、反応がついてこない夜が増えた。
妻は昔から欲の強い人だった。年齢を重ねた今も、その熱は少しも衰えていない。私がうまくいかないときは、口で刺激したり、手で導いたりして、どうにか彼女を満足させようとしてきた。けれど、それも毎回うまくいくわけではない。途中で力が抜けてしまうこともあるし、最後まで持たないこともある。そんなときは、妻のほうが先に達してしまい、私はその後を追うだけになる。
以前なら、挿れればそれでどうにかなった。だが今は違う。途中で萎えてしまい、情けなさだけが残る夜もある。妻はそんな私を責めることもなく、むしろ口で支えてくれた。最後まで持ち直して、ようやく終わる。結局、私たちの営みは、私の力だけでは完結しなくなっていた。
それでも妻の欲は満たしきれず、最近は通販で買った太めの玩具や刺激の強い道具を自分で選ぶようになった。届いた箱を開けるときの目の輝きは、昔と変わらない。私はそれを手に取り、使い方を確かめながら相手をする。妻はそれで満足そうに笑う。私にとっては複雑な光景だったが、彼女にとっては、欲を正直に扱える時間なのだろう。
ある晩、私はふと口にした。もしよければ、飲み友達の中に、私より若くて性欲の強そうな男がいる。そいつとなら、もっと楽しめるんじゃないか、と。言いながら、自分でも何を言っているのか分からなかった。試すような気持ちもあったし、どこかで妻の本音を聞きたかったのかもしれない。
妻は少しもためらわなかった。「あなたさえいいなら、私は喜んで」と、あっさり返してきた。その一言で、胸の奥が冷えた。怒りというより、ひどく空虚だった。長い年月を一緒に過ごしてきたはずなのに、妻の欲の前では、私はもう役割を終えた道具のように思えた。
その夜から、私は考えるようになった。妻を他の男に任せたら、自分はどう感じるのか。嫉妬するのか、ほっとするのか、それとも完全に何も感じないのか。答えはまだ出ていない。けれど、以前のように妻を抱こうという気持ちは、確かに薄れていた。
年齢とともに性欲には波がある。体力も、勃ちも、射精までの持久力も、若いころのままではいられない。だが一番変わったのは、身体よりも心のほうかもしれない。相手を満たしたい気持ちが残っていても、そこに愛情がなければ、ただの作業になってしまう。今の私は、まさにその境目に立っている。

妻が求めるものは、たぶん私ひとりでは足りない。私自身も、それをうすうす分かっている。だからこそ、あの提案をしてしまったのだろう。自分の前で他の男と楽しむ姿を見せてほしい、そんな歪んだ願いを、半ば冗談のように、半ば本気で差し出した。
あの返事を聞いてから、私は妻を見る目が少し変わった。欲に忠実で、ためらいがなく、欲しいものを欲しいと言える人。昔はそれが魅力だった。今は、少しだけ怖い。けれど、その怖さごと受け止めなければ、長年続いた夫婦の形はもう保てないのかもしれない。
私の中には、まだ迷いがある。妻を他の男に抱かせることが本当に正しいのか、それともただ自分の気持ちから逃げたいだけなのか。答えを急ぐつもりはない。ただ、六十を越えた体と心が、以前とは違う場所へ向かっているのだけは確かだった。
夫婦の夜は、若いころのような勢いだけでは続かない。欲望も、体力も、愛情の形も、年を重ねるたびに変わっていく。私はその変化にまだ追いつけていない。だが、妻はとっくに次の段階へ進んでいるのかもしれない。
これから先、私たちがどんな関係になるのかは分からない。けれど、あの夜の会話だけは、しばらく忘れられそうにない。妻のあっけないほど素直な返事が、今も耳の奥で残っている。