地味で、恋愛とはほとんど無縁だった。そんな自分が、ある夜を境に少しずつ変わっていく。化粧の仕方も、服の選び方も、誰かに見られることを意識したのも、そのときが初めてだった。
小さな作業場で働く私は、アラサーの独り身。これまで男性と親しくなる機会は驚くほど少なく、恋人どころか、まともに声をかけられた記憶すら薄かった。職場に若い子が入ってきて、何気ない雑談の中で「もう少し変わったら絶対に印象よくなりますよ」と言われたのが、妙に胸に残った。化粧品を買い、髪を整え、少しだけ服装にも気を配るようになった。鏡に映る自分は、まだ洗練されているとは言えない。でも、以前よりは少しだけ“普通の女性”に近づけた気がした。
その変化を試したくなって、仕事帰りに飲み屋街をぶらついた。人の多い通りを歩いても、昔は誰にも見向きもされなかった。それがその日は違った。ふいに、仕事帰りらしい二人組の男に声をかけられたのだ。あまりに久しぶりの出来事で、最初は現実感がなかった。けれど、にこやかに飲みに誘われると、胸の奥がじんわり熱くなった。断る理由はない。ただ、手持ちが少なかったので、思い切って「おごってくれますか」と言ってみた。すると、相手は笑って「朝まで付き合ってくれるなら」と返した。そこまで長くは無理だと答えたものの、空腹だったこともあり、そのまま居酒屋へ向かった。
店内は賑やかで、酒の匂いと焼き物の匂いが混じっていた。私は慣れていないぶん、メニューを見ても何を選べばいいのかよく分からない。そんな様子を見て、男たちは「好きなだけ頼んでいいよ」と気前よく言った。遠慮しながらも、食べたいものを少しずつ頼み、酒も勧められるまま口にした。普段ならすぐに赤くなるのに、その日は妙に酔いが回るのが早かった。会話は仕事のこと、恋愛のこと、これまでの経験のことへと流れていく。気づけば、年齢のわりに交際経験がないことまで口にしていた。
その流れで、私は自分が処女であることまで打ち明けてしまった。言った瞬間、少しだけ空気が変わったのを覚えている。驚きよりも、むしろ男たちの目が強くなった。からかわれるのかと思ったのに、返ってきたのは、もっと直接的な興味だった。「なら、そういう相手として見てみたい」と。私は戸惑いながらも、どこかでその言葉に救われていた。ずっと誰にも見つけてもらえなかった自分が、今ようやく“女”として扱われている気がしたからだ。
もちろん、ただで流されるつもりはなかった。私はふざけ半分、本気半分で「お小遣いをくれたらいいよ」と口にした。すると二人は顔を見合わせ、笑って、そのままホテルへ行く流れになった。酔いと緊張と高揚が一緒くたになって、足元がふわふわしていた。部屋に入ると、もう後戻りはできない。けれど、不思議と怖さだけではなかった。むしろ、ずっと止まっていた時間が動き出すような感覚があった。
最初は、触れられるたびに全身がこわばった。慣れない手つきに戸惑いながらも、二人に代わる代わる抱き寄せられるうちに、少しずつ力が抜けていく。優しく撫でられ、耳元で囁かれ、甘い熱が体の内側に溜まっていく。自分で思っていたよりも、私はずっと敏感だった。オナニーとはまったく違う、他人の体温があるだけで、感覚が何倍にも膨らむ。初めての行為は痛みも強く、気持ちよさだけでは終わらなかった。それでも、誰かに求められているという事実が、妙に嬉しかった。
その夜は、ただ一度で終わらなかった。男たちは、経験を重ねればもっと違ってくると言い、私にもまた会いたいと告げた。最初は半信半疑だったが、数日後には本当に連絡が来た。私は少し照れながらも、また会う約束をした。「お小遣いくれたらいいよ」と軽く言うと、向こうもそれを冗談半分に受け止めつつ、こちらの都合を聞いてくれるようになった。そうして何度か会ううちに、私は自分の体が変わっていくのを感じた。最初は痛みばかりだったのに、次第に気持ちよさが勝つ瞬間が増えていった。
二人が交互に誘ってくれるようになり、飲みからそのままホテルへ向かうことも増えた。写真を撮られたこともあるし、少し危ういなと思う場面もあった。それでも、当時の私は止まらなかった。誰かに必要とされる感覚が、なによりも甘かったからだ。やがて、私は“ただ流されるだけの女”ではなくなっていった。自分から飲みに行き、相手を選び、会うかどうかもある程度は決めるようになった。雑に扱う相手は自然と避けるようになり、私自身を大事にしてくれる人だけを残していった。
気づけば、私で射精したいと言う男が増えていた。最初はただの好奇心だったはずなのに、いつの間にか私は、相手にとって特別な存在になっていたらしい。居酒屋で食事を奢られ、ホテルへ行き、求められる。その繰り返しの中で、私は自分でも驚くほど素直になっていた。誰かに抱かれるたび、最初の頃のぎこちなさは薄れ、代わりに、相手の反応を見ながら体を預ける余裕が生まれていった。
そんな中で、ひとりだけ少し違う男が現れた。攻撃的ではなく、声も穏やかで、こちらを追い詰めるようなことをしない。収入も安定していて、年齢相応に落ち着いた雰囲気があった。最初は他の男たちと同じように見えていたのに、何度か会ううちに、この人だけは別だと分かってきた。私に対して妙な支配欲を見せることもなく、ただ一緒にいる時間を楽しんでいるようだった。
その人は、私と結婚したいと言った。理由を聞いても、はっきりした答えは返ってこなかった。ただ「一緒にいると落ち着く」と、静かに笑うだけだった。その言葉が、妙に心に残った。派手さはない。でも、長く一緒にいるなら、こういう人のほうがいいのかもしれない。私は初めて、誰かと将来を考えるということを現実のものとして受け止めた。
やがて、会う相手はその人ひとりになった。飲んで、抱かれて、また飲んで。以前のような雑多な関係は少しずつ消えていった。彼と過ごす時間は、不思議と穏やかだった。激しさよりも安心感があり、欲望だけでは続かなかった関係が、少しずつ生活に近づいていく。私自身も、ただ刺激を求めるだけでは満たされなくなっていた。
妊娠していないことを確認してから、婚姻届に署名した。もし身に覚えのない妊娠のままでは、先へ進めない。そんな現実的な事情もあって、ひとつひとつ確かめながら進んだ。やがて本当に身ごもり、入籍も済ませた。あの頃の私は、まさか自分が結婚するなんて思ってもいなかった。化粧もろくにせず、出会いのない毎日をただ繰り返していた人間が、ほんの少し外に出てみただけで、こんなふうに人生が動くとは想像もしなかった。
振り返れば、きっかけは本当に些細だった。若い同僚のひと言、少しだけ変えてみようという気持ち、そして飲み屋街を歩いてみた夜。その一歩が、私の世界を広げた。もちろん、すべてがきれいな話だったわけじゃない。危うさもあったし、軽率だった場面もある。それでも、あの夜から始まった出来事が、最終的に今の私につながっているのは確かだ。
今では、誰かに見つけてもらうのを待つだけではなく、自分から動くことの意味を知っている。地味で何もなかった私が、変わろうと思えば変われる。その事実だけは、あの夜の記憶と一緒に、ずっと残っている。