「お義母さん、すごく気持ちよかったですよ」
広志さんは缶ビールを片手に、まるで何事もなかったような顔でそう言った。けれど、私の体はその一言だけでまだ熱を残していて、心臓の鼓動も落ち着かないままだった。ベッドの上には、さっきまでの激しさの名残がまだ漂っている。息が絡み、体温が混ざり、言葉にできない余韻だけが静かに沈んでいた。
「あんなに……もう、困るわ。体じゅうがべたべたで」
私は視線をそらしながら、照れ隠しのように呟いた。広志さんは笑って、私の手元に残っていた缶サワーをそっと脇へ置くと、私の肩を引き寄せた。
「ティッシュで拭いたつもりだったんですけど、まだ少し残ってますね」
その言い方が妙にやさしくて、私はますます落ち着かなくなる。けれど、嫌ではなかった。むしろ、こうして何気ない口調で触れられるたび、さっきまでの高ぶりがまたぶり返してくる。
「ねえ、家族旅行は絵里と一緒に行かなくてよかったの?」
少し間を置いて、私は思い出したように尋ねた。広志さんは肩をすくめる。
「絵里もお義父さんと二人のほうが気楽でしょうしね。お義母さんこそ、本当に大丈夫だったんですか? 自治会の仕事で来られなくなったって聞いてましたけど」
「時間が取れる人って限られるのよ。私みたいなのが動くしかないの。今さら夫と旅行しても、昔みたいに胸が高鳴る年じゃないし。長く一緒にいると、別々に過ごすのも当たり前みたいになるものよ」
口ではそんなふうに言いながら、私は自分の声が少し上ずっているのを自覚していた。広志さんはそんな私を見て、いたずらっぽく目を細める。
「でも、そのおかげで、こうしてお義母さんと二人きりになれたわけですね」
「連れ込まれただけよ」
そう返すと、広志さんはくつくつと笑った。飲み干した缶を脇へ置き、私の手に残っていた缶もそっと離すと、今度は足を絡めるようにして私の前に体を寄せてきた。
「なに? そんなに顔を近づけないで。ちょっと、恥ずかしいじゃない」
広志さんの息には、アルコールの匂いがかすかに混じっていた。けれど嫌な感じはしない。むしろ、その近さが私の胸の奥をじわりと揺らしていく。
「だめよ、やぁだ、ちょっと……」
言葉は弱々しく途切れ、結局私は広志さんの視線から逃げきれなかった。
「わかってますよ。いけないってわかっていても、欲しくなることってありますよね」
その囁きは、私の理性を簡単にほどいていく。広志さんはもう一度私を抱き寄せ、唇を重ねた。触れ合うたび、体の奥がきゅっと縮む。胸の先まで敏感になっていて、背筋をなぞるような気配だけでも息が乱れた。
「あっ……や、だめ……」
拒む声はかすれていた。広志さんはそんな声すら楽しむように、私の反応を丁寧に確かめながら、ゆっくりと私の体を受け止めた。向かい合ったまま抱き上げられると、視界の高さまで変わって、私は思わず彼の肩にしがみつく。
体が重なった瞬間、熱が一気に戻ってきた。さっきまでの余韻が、また生々しく膨らんでいく。私は息を呑み、うっすらと震えた。
「広志さん、近い……」
「近いほうが、もっと感じるでしょう?」
耳元でささやかれ、そのまま深く抱き込まれる。ベッドがきしむ小さな音さえ、妙に大きく感じられた。私は広志さんの首に腕を回し、逃げるふりをしながら、実際にはその熱から離れられずにいた。
「こんなの、だめなのに……」
そう言いながらも、私は自分から体を寄せていた。広志さんの手が背中をなぞるたび、全身の力が抜けていく。理屈より先に、感覚が答えてしまう。長く積み重なった日々の中で、もう何も驚かないと思っていたのに、こんなふうに触れられると、まだ知らない自分がいるようだった。
広志さんは私の反応を見逃さなかった。視線が合うたび、わざとらしいくらいに優しく笑う。その笑みが、かえって私を追い詰める。
「お義母さん、そんなに震えてる」
「あなたが、変なことを言うからよ」
「本当ですか? でも、嫌そうには見えないですよ」
図星だった。私は返す言葉を失い、代わりに広志さんの肩口へ顔を伏せた。そこからは、もう何を言っても負ける気がした。甘い息、近すぎる距離、肌のぬくもり。どれもが、私の中の慎ましさをゆっくり崩していく。
時間の感覚が曖昧になっていった。短い沈黙のあとに、広志さんが私の髪を撫でる。まるで、壊れものを扱うみたいに。なのに、その手つきはどこか確信めいていて、私はますます身動きが取れなくなる。
「少し休みましょうか」
「……ええ」
そう答えたものの、私はまだ熱を持ったままだった。広志さんはベッドの上で体勢を整え、私を横へ寝かせると、腕枕をするようにそっと寄り添った。息が静かに落ち着いていく。けれど、心だけはまだ波立ったまま、なかなか平らにはならなかった。
「お義母さん、無理させましたね」
「いいの。ちょっと、ぼうっとしてるだけ」
「気にしないでください。お義母さんが本当にきれいだったから、つい夢中になりました」
その言葉に、私は返事をしなかった。代わりに目を閉じる。恥ずかしさと満ち足りた感覚が、まだ胸の奥で絡まり合っていた。広志さんの指先が髪を梳くたび、さっきまでの激しさが遠い夢のようにも思える。
けれど、夢ではなかった。肌に残るぬくもりも、息の近さも、心を乱す甘い余韻も、全部が確かにここにある。
私はそのまま、しばらく動けずにいた。広志さんも何も急がない。ただ静かに寄り添い、私が落ち着くのを待っている。そのやさしさが、かえって胸にしみた。
やがて広志さんは立ち上がり、洗面台のほうへ向かった。しばらくして戻ってくると、湯で温めたタオルを手にしていた。
「少し拭きますね」
「広志さんに、こんなことまでさせてしまって……」
「気にしないでください。こういうときは、ちゃんとしたほうがいいですから」
「それが目的だったんじゃないの?」
私がそう返すと、広志さんは苦笑しながら首を振った。けれど、その表情には隠しきれない満足が滲んでいた。
温かなタオルが肌に触れる。さっきまでの熱が、少しずつやわらいでいく。私は目を閉じたまま、ただその手つきを受け入れた。恥ずかしさはあるのに、不思議と拒みたい気持ちは起こらなかった。
「……ありがとう」
小さくそう言うと、広志さんは何も答えず、ただ私の髪をもう一度撫でた。
その夜は、激しさのあとに訪れる静けさがやけに長く感じられた。何かが終わったようで、まだ終わっていないようでもある。私はベッドの上で浅く息をしながら、次に何を言えばいいのか分からないまま、広志さんの気配に身を委ねていた。
窓の外では、街の灯りがぼんやり滲んでいる。部屋の中には、ぬくもりと沈黙だけが残っていた。
そして私は、この関係がもう後戻りできない場所まで来ていることを、静かに理解し始めていた。
この話の続きへ――。