28歳の妻が同窓会から戻ってきたのは、夜中の3時を回ったころだった。玄関の鍵が開く音に気づいて起きると、タクシーで送られてきた彼女は、ひどく疲れた顔のままリビングのソファに崩れ落ちた。
その瞬間、胸の奥に小さな違和感が走った。ブラウスのボタンはひとつずれていて、ストッキングにはあちこち伝線が入っている。さらに、下着には目に見えてわかるほどの染みが広がっていた。酔って転んだだけでは説明しきれない、妙な乱れ方だった。
私は声をかけるのをためらいながら、そっと彼女の様子をうかがった。寝息は浅く、顔色は悪くない。それでも、どこか帰宅のときの空気だけが違っていた。香水の残り香にまじって、シャワーを浴びたあとのような石けんの匂いがかすかに漂っていたのだ。
その匂いをかいだ瞬間、頭の中に余計な想像が流れ込んできた。私は、そういう気配に弱い。理性では見ないふりをしようとしても、心のどこかで興味が勝ってしまう。目の前の妻は無防備に眠っているのに、私はその“乱れ”に強く心を揺さぶられていた。
しばらくして、私は彼女を寝室まで運び、そっと布団をかけた。翌朝、妻はいつもより口数が少なく、私と目を合わせようとしなかった。朝食の席で「昨夜は遅かったね」と尋ねると、彼女は「同窓会が長引いて、二次会まで行ったの」とだけ答えた。声は落ち着いていたが、視線は食卓の端をさまよっていた。
あからさまに問い詰めることはしなかった。けれど、あの夜の服装の乱れは、どうしても頭から離れない。妻は何かを隠しているのか、それともただ酔って記憶が曖昧になっているだけなのか。わからないまま時間だけが過ぎていった。
数日後、同窓会に参加していた知人と話す機会があった。そこで聞いたのは、妻がかなり酒を飲んでいたこと、二次会では周囲に囲まれても嫌がる素振りを見せなかったこと、そして終電を逃したあと、男性数人と同じタクシーに乗って帰ったらしいという断片的な情報だった。
断片がつながるたび、胸の奥がざわついた。真実を確かめたい気持ちと、知らないままでいたい気持ちが、同じ強さでぶつかり合う。私はその夜、何度も寝返りを打った。
妻は翌日も普段どおりを装っていたが、どこかぎこちなかった。こちらが何気ない話題を振ると、返事はするのに、最後まで顔を上げない。あの夜のことを思い出しているのか、それとも別の何かを抱えているのか。沈黙が増えるほど、かえって想像は膨らんでいった。
やがて私は、自分が彼女の沈黙に強く反応していることに気づいた。動揺しているはずなのに、目をそらす妻の姿に妙な熱を感じてしまう。情けないと思う一方で、その感情を完全には否定できなかった。
ただ、ひとつだけ冷静に受け止めていたことがある。妻は医師の処方による低用量ピルを毎日服用していた。だから妊娠の心配はない。その事実が、私の中で現実的な不安を少しだけ和らげていた。
私は結局、すぐに答えを出すことをやめた。問い詰めれば関係が壊れるかもしれないし、曖昧なままでも、彼女は彼女としてそこにいる。そう自分に言い聞かせながら、しばらくは様子を見ることにした。
それでも、あの夜に見た衣服の乱れと、帰宅した妻の沈黙は、簡単には消えなかった。疑い、気遣い、そして説明のつかない高揚感。その三つが絡み合ったまま、私はしばらく妻の横顔を見つめ続けることになる。
この体験を思い返すたび、私はひとつの事実を突きつけられる。人は、見てはいけないものを見たとき、必ずしも怒りだけを覚えるわけではない。ときには不安より先に、もっと厄介な感情が顔を出すことがあるのだ。
そして、その感情に気づいた瞬間から、日常は少しずつ別の色を帯び始める。何も起きていないようで、何かが確かに変わってしまった。あの夜から今に至るまで、その違和感だけは、まだ胸の奥に残っている。
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