年末の慌ただしさに追われていたころ、私は家事代行サービスを一度だけ利用した。大掃除を自分たちだけで片づける余裕がなく、妻も外出の予定が重なっていたからだ。部屋に人を入れること自体、少し気を張る。だが、その日の作業は手際がよく、想像していたよりもずっと穏やかに終わった。
掃除がひと通り済んだあと、担当の女性が私にだけ小さな声で連絡先の交換を求めてきた。妻がいない時間を見計らったような、妙に距離の近い言い方だった。私は戸惑いながらも断りきれず、業務連絡の延長のような気持ちで連絡先を渡してしまった。あの時点では、まだ何が起こるのか分かっていなかった。
数日後、届いたメッセージには、年末年始の利用者向けに「特別な案内がある」と書かれていた。普通の家事代行とは明らかに違う文面だったので、私はすぐに違和感を覚えた。なぜ最初に説明しなかったのかと尋ねると、相手は「奥さまが同席していたので」とだけ返してきた。その答えは、説明になっているようでいて、何も説明していなかった。
やり取りを重ねるうちに、その“案内”の中身が見えてきた。家事の延長に見せかけた、きわめて不適切な個人接触の提案だった。しかも、場所や時間まで細かく持ちかけてくる。私はそこで初めて、これは単なる冗談でも雑談でもなく、サービス名を借りた危うい誘いなのだと理解した。
派遣されてきた女性は、四十代の後半くらいに見えた。体型はふっくらしていたが、身だしなみは整っていて、仕事ぶりも落ち着いていた。だからこそ、最初の印象との落差が大きかった。片づけの最中に見せた丁寧さと、あとから届いた露骨な提案。その二つが同じ人から出てきたことに、私は妙な現実感のなさを覚えた。
提案の内容は、かなり直接的だった。軽い接触にあたるものは数千円、より踏み込んだ内容は一万円前後という、はっきりした金額まで示されていた。だが、金額が具体的であるほど、かえって空虚に感じた。家事を頼んだはずなのに、話はいつのまにか別の方向へ流れている。私はその場で即答できず、ただ曖昧に返事を濁した。
今になって思えば、あれはサービスの境界線を越える誘いだったのだろう。家事代行という言葉が持つ安心感を利用し、相手の警戒心を下げるやり方だったのかもしれない。見知らぬ人を自宅に入れる以上、こちらにも注意が必要だ。仕事内容、料金、連絡方法が曖昧なまま話が進むと、思わぬトラブルにつながる。
私は結局、その後の誘いには応じなかった。家の中に残ったのは、掃除で整った空間と、後味の悪さだけだった。便利さに惹かれて頼んだサービスが、こんな形で記憶に残るとは思わなかった。人との距離が近いサービスほど、最初の説明がはっきりしていないと危うい。あの日の違和感は、今でも妙にはっきり覚えている。
年末の忙しさに付け込むような話は、たいてい親切そうな顔をして近づいてくる。だからこそ、少しでもおかしいと感じたら、その場で線を引くべきだったのだろう。あのときの私は、断り切れないまま流されてしまった。静かな部屋に残ったのは、掃除の終わった匂いと、言葉にしづらい居心地の悪さだけだった。