私は青木友梨、二十六歳。都内の女子高でフランス語を教えている。昼は黒板の前に立ち、夜は別の顔で呼ばれる。理恵という源氏名で働き始めたのは、身元が表に出にくい店だと聞いたからだった。けれど、安心だと思った場所ほど、ひとたび綻びが見えると逃げ場がなくなる。
前回の出来事のあと、私はSYとの関係も、HYの予約も、どちらも切ることができないまま、ただ次の予定に身体を合わせていた。電話が終わると、私は湯船を張り、食事を済ませ、店から渡された指示書に目を通した。準備の手順は細かく、持ち物、移動時間、待ち合わせの合図まで決められている。そこに迷いは許されない。
その土曜の夕方、私は学校を出ると千葉方面の駅へ向かった。制服の生徒たちが駅前を抜けていく時間帯で、私は彼女たちと同じように急ぎ足で改札を通った。けれど、向かう先はまったく違う。案内図に書かれた場所へタクシーを呼び、住宅街の奥へ入っていくと、周囲の空気が少しずつ変わっていった。
門の前で呼び鈴を鳴らすと、重い扉が静かに開いた。高い塀に囲まれた敷地は想像以上に広く、手入れの行き届いた庭木が薄暗い空の下で影を落としていた。玄関までの小道を歩くあいだ、私は自分の呼吸が浅くなるのを感じた。やがて扉が開き、HYが姿を見せた。
「先生、待ってましたよ。入ってください」
短い言葉だったが、そこには主導権を握る者の余裕があった。私は深く頭を下げ、用意していた挨拶を口にした。HYは満足そうに頷くと、私を前回と同じ部屋へ案内した。中央に大きなベッドがあり、周囲にはソファとテーブルが置かれている。落ち着いた内装なのに、どこか舞台裏のような匂いがした。
「ここはパーティールームです。プレイルームは二階と地下にあります。その前に、ロッカーとキッチンを見せておきますね」
ロッカーには暗証番号式の鍵がついていた。自分で番号を設定し、私物をしまう仕組みだ。キッチンには、すでに食材とレシピが届いている。私はその説明を聞きながら、ここがただの客室ではないことをあらためて思い知らされた。動線も、道具も、役割も、すべてが最初から決められている。
HYはソファに腰を下ろし、私に視線を向けた。
「じゃあ、先生。いつものやつ、見せてもらえますか」
私は頷き、上着のボタンに手をかけた。紺のジャケットを脱ぎ、スカートのホックを外し、ブラウスを肩から落とす。ひとつひとつの動作を、できるだけ丁寧に、見せるように進める。照明の下で、布が床に滑り落ちるたび、空気が少しだけ熱を帯びた。
「今日も落ち着いてますね」
そう言われて、私は笑うしかなかった。ストッキングを外し、下着を整え、後ろを向いて姿勢を低くする。私はいつの頃からか、この場での見せ方を覚えてしまっていた。恥ずかしさが消えたわけではない。ただ、戸惑っている時間が短くなっただけだ。
そのまま私は浴室へ案内され、まずは身支度を整えることになった。ガラス張りの洗い場には湯気が立ち、マットや椅子、ローションのボトルが手際よく並べられている。設備の準備がここまで徹底していると、戸惑いより先に、仕事としての手順が身体に入ってくる。
私は洗面器に湯を張り、手順どおりに身体を洗い始めた。背中を流し、肩をほぐし、指先で相手の反応を確かめる。HYは椅子に身を預けながら、私の動きをじっと見ていた。時折、短く指示を出す。そのたびに私は手を止めず、次の動作へ移る。言葉より先に、身体が動くようになっていた。
浴室を終えると、今度はマットのあるスペースへ移った。床に敷かれたマットは広く、周囲の光をやわらかく反射している。私はローションを手に取り、必要な場所へ塗り広げた。滑りやすさを確かめ、相手の体勢を整え、次に何をするかを読み取る。ここでは、迷いは段取りの遅れになる。
HYは満足げに肩を回し、私に食事の準備も頼んだ。キッチンに戻ると、サーロインステーキ、サラダ、レトルトのスープ、ご飯が届いていた。私はフライパンを温め、焼き加減を見ながら肉を返す。皿を温め、盛り付けを整え、ワゴンに乗せて部屋へ戻る。こういう作業だけは、少しだけ日常に近い。焦げる音、湯気、皿の重み。手を動かしているあいだは、余計なことを考えずに済む。
「朝まで楽しませてもらうから、まずは腹ごしらえだ」
HYはそう言って食卓に向かった。私は食べやすいように皿を寄せ、飲み物を注ぎ、口元の汚れを拭う。食事が終わるころには、部屋の空気はすっかり夜のものになっていた。時計を見ると、まだ深夜にはなっていない。それでも、ここでは時間の感覚がずれていく。
食後、HYは地下へ移動しようと言った。私は先に立ち、階段を下りる。地下のプレイルームは、上階よりもさらに閉じた空気を持っていた。黒い人工レザーのベッド、同じくガラス張りの浴室、整然と置かれた小物類。壁の色も照明も、すべてが視線を一点へ集めるように設計されている。
その前に、私は年齢確認と同意の手順を改めて確認された。店からの指示で、相手には身分証の提示を求め、書面への署名も取ることになっている。私は封筒から確認用の書類を取り出し、HYに見せた。生年月日が記載された身分証を目視し、控えに記録する。さらに、同意書の内容を読み上げ、双方が署名する。こうした確認は面倒に見えて、実際には自分を守るための最低限の線引きだ。
「こういうの、ちゃんとしてるんですね」
HYは軽く笑ったが、私は笑い返さなかった。必要だからやる。それだけのことだった。
確認が終わると、私は再び身体の準備に入った。店からの指示で、平日二十二時以降は時給六千円、指名料は別途二千円という条件が明記されている。加えて、長時間になれば延長の加算もある。数字だけ見れば割り切れそうに思えるが、実際には一回一回の負荷が大きい。私はその書面を思い出しながら、今日の時間帯と条件を頭の中で整理した。
「先生、今日は少し長くなりそうだな」
HYがそう言うと、私は黙って頷いた。長くなるということは、体力も集中力も削られるということだ。けれど、ここで拒むことはできない。私は深く息を吸い、次の指示を待った。
地下室では、まず身体を整えるための一連の動きから始まった。私は相手の背中を流し、肩や腕を拭き、濡れた部分を丁寧に処理する。必要な物を手渡し、位置を変え、視線を合わせる。相手の反応を見ながら、こちらの動作も変える。単純なようでいて、実際には細かな判断の連続だった。
途中、HYは私の動きが慣れてきたと言った。私は返事の代わりに、タオルを絞り、次の準備を進めた。浴室での作業、マット上での動き、部屋の片付け。どれも大げさなものではないが、積み重なると体に重く残る。汗は背中を伝い、髪は頬に張りついた。
やがて、私は何度目かの休憩のあと、時計を見上げた。すでに夜は深く、窓の外の暗さが濃くなっている。HYはなおも余裕を見せていたが、私のほうは少しずつ足元がふらつき始めていた。そこで、私は店から渡された記録用メモを確認し、今日の流れを簡潔に残した。何時に到着し、何時に食事を出し、どのタイミングで休憩を取ったか。こうした記録は、後で自分を守る材料になる。
深夜を過ぎるころ、私は一度だけ廊下に出て、深呼吸をした。壁に手をつき、指先で冷たさを確かめる。外の空気は見えないのに、ここには外とは違う重さがある。誰かに見られているわけではない。それでも、秘密を抱えたまま働く人間には、常に見えない視線がつきまとう。
その後も、私は指示された作業を一つずつこなした。浴室の片付け、タオルの交換、部屋着の準備、朝食の下ごしらえ。単調に見える動きほど、失敗すると目立つ。だから私は、焦らず、手順を崩さず、必要なものを先にそろえていく。相手が何を望んでいるかを先回りして動くこと。それが、この場での基本だった。
明け方が近づくと、HYはようやく休むそぶりを見せた。私は乱れた部屋を整え、使ったものを回収し、床の汚れを拭き取る。鏡の前に立つと、髪は湿り、目の下にはうっすらと疲れが溜まっていた。けれど、その顔を見ている暇はない。私はロッカーから服を取り出し、順番に身につけていく。下着、ブラウス、スカート、ジャケット。ひとつ着るたび、別の自分に戻っていく感覚があった。
HYはソファに座ったまま、私の着替えを見て笑った。
「逆バージョンみたいだな」
私は軽く会釈をして、最後の確認に移った。忘れ物がないか、メモは残したか、連絡先の控えは封筒に戻したか。ひとつずつ目で追い、手で確かめる。玄関へ向かうときには、すでに朝の光が差し始めていた。
「本日はご指名ありがとうございました。またのご予約をお待ちしております」
私はそう言って頭を下げた。門の外へ出ると、空は白み始め、住宅街の輪郭がようやく見えてきた。呼んでおいたタクシーに乗り、駅へ向かう車内で、私はようやく肩の力を抜いた。窓に映る自分の顔は、昼の教師でも、夜の理恵でもない、ただ疲れた二十六歳の女だった。
駅に着くと、SYからメッセージが届いていた。終わったらすぐ電話しろ、という短い文面。私はため息をひとつだけついて、通話をかけた。
「終わったか」
「はい。終わりました」
「今日も長かったんだろ」
「ええ。かなり」
電話の向こうの声は、いつもと変わらず落ち着いていた。私は報告を済ませ、次の予定を聞いた。SYは夜に会うと言い、私に休む時間をほとんど与えなかった。身体は限界に近いのに、予定は止まらない。そういう日が続くたび、私は自分の生活がどこへ向かっているのか分からなくなる。
けれど、立ち止まることもできない。教師としての顔、理恵としての顔、そして誰にも見せていない素の顔。その三つを抱えたまま、私はまた次の夜へ進むしかなかった。
次は、その夜に起きたことを書くつもりだ。まだ終わっていない。むしろ、ここからが本当の分岐点だったのかもしれない。
この話の続き――女教師の秘密の夜の仕事、身バレ後の現実と選択、次の夜へ。
平日の夜は、時間が長く感じる。とくに二十二時を過ぎると、店の条件ははっきりしていて、時給六千円、指名料二千円が上乗せされる。数字は明快でも、実際の体感は別だ。待機、移動、確認、片付け、そのすべてが積み上がって、ようやく一回分になる。
私はその条件を思い出しながら、制服の袖を整えた。昼の職場では、そんな計算を表に出すことはない。けれど、夜の仕事では、条件を知らずに動くほうが危ない。だからこそ、私は毎回、金額と時間を先に頭へ入れるようにしていた。
注意点・失敗例
夜の仕事では、確認を飛ばすことが一番危ない。年齢確認を曖昧にしたまま進めると、後で自分が不利になる。身分証の提示を受け、氏名と生年月日を確認し、同意書に署名をもらう。この三点を省かないことが、最低限の線引きになる。
もうひとつは、条件の記録を残さないことだ。時給、指名料、延長の扱い、支払い方法。口頭だけで済ませると、後から食い違いが起きやすい。私はメモを残し、控えをしまい、必要なら写真で記録するようにしている。面倒でも、そのひと手間が後で効く。
そして、疲れているときほど判断が鈍る。休むタイミングを逃すと、動きが雑になり、相手の要求に飲まれやすい。私はそれを何度も痛感した。だから、短くてもいいので、途中で水を飲み、呼吸を整え、手順を見直す時間を確保するようにしている。
参考情報
- 厚生労働省
- 警察庁
- 各自治体の風俗営業関連案内
よくある質問
- 年齢確認はどのように行うのですか。
- 身分証明書の提示を受け、生年月日と氏名を確認します。必要に応じて、同意書への署名も取り、記録を残します。
- 料金条件はどのように設定されていますか。
- この話では、平日二十二時以降は時給六千円、指名料は別途二千円という条件が示されています。延長や追加対応がある場合は、事前の確認が欠かせません。
- 身バレを避けるには何が必要ですか。
- 本名や勤務先が特定される情報を外に出さないこと、移動経路を固定しすぎないこと、連絡先の管理を分けることが基本です。
- 法令面で気をつけることはありますか。
- 年齢確認や同意の手順を省かないこと、契約条件を曖昧にしないことが大前提です。地域の条例や営業形態によって扱いが変わるため、事前確認が必要です。
- 疲れが強いときはどうするべきですか。
- 無理に続けず、休憩を取り、次の予定を見直します。体調が崩れそうなら、キャンセルや時間短縮を含めて判断するほうが安全です。
まとめ
- 夜の仕事は、感情よりも手順が先に立つ。
- 年齢確認と同意の確認は省かない。
- 条件、移動、休憩を記録することで自分を守れる。