デリヘル嬢とドライバーが親しくなるのは、店の空気からすればあまり褒められたことではない。だから俺たちのやり取りは、いつも少しだけ秘密めいていた。
送迎の車内で、たいていの嬢は窓の外を眺めるか、スマホをいじっている。けれど桃花は違った。待機場を少し離れたあたりで、ふいに助手席へ身を乗り出すようにしてくる。そしてバックミラー越しに目が合うと、あっけらかんと笑った。
「どうかした?」
「ううん。運転してる大輝君、やっぱりイケメンだなって思って」
そんなふうに言われるたび、仕事と私情をきっちり分けようとしていた境目が、じわじわと曖昧になっていくのが分かった。最初は送迎中に手が触れる程度だったのに、いつの間にか桃花は俺の手を握るようになっていたし、濃いめのメイクをしていた顔も、気づけば俺の好みに合わせた自然な雰囲気へ変わっていた。服装も、派手な露出より清楚さを意識したものが増えていく。
そのたびに、嬉しいのに、少しだけ苦しかった。
ホテルの前で見送るとき、妙に胸がざわつく。反対に、桃花のほうは仕事の波に乗ると、予約が一気に埋まるようになっていた。生理休暇を挟んで出勤告知を出せば、すぐに予定が埋まる。人気は目に見えて上がっていた。
とくに増えたのが、パンツを持ち帰るオプションだった。送迎時のちょっとした仕草や、手をつないだまま濡れてしまうような、本人も照れくさそうにする一面が、客にはたまらないらしい。
ただ、それがそのまま稼ぎの増加に直結するかというと、そう単純でもなかった。
「お待たせ! 次もすぐ予約あるよね」
「大丈夫か?」
「うん。出勤の日は大変だけど、そのぶん日数を減らせるようになったから」
桃花は、ひたすら稼げるだけ稼ぐタイプじゃなかった。必要な額を決めて、そこに届けば無理をしない。だから出勤日数は少しずつ減っていった。
帰り道は、いつも事務所から少し離れた場所で助手席に乗り換える。
「疲れてない? 本当に平気?」
「うん、大丈夫。私より大輝君のほうが平気?」
「全然平気だよ」
そう答えてから、俺は車を家とは逆の方向へ走らせた。
きっかけは、嬢たちの雑談だった。待機中の女子トークで、テーマパークの話が出たらしい。桃花も俺も、小学校の修学旅行以来、そんな場所とは縁がなかった。
「行ってみたいなぁ……」
「なら、行くか?」
その一言で、話はあっという間に決まった。土日の休みを使い、金曜の仕事終わりにそのまま向かうことにした。出発は23時。ホテルは予約しないまま、少しずつ目的地へ近づいていく。
「もう少し行ったらホテルあるよね?」
「たぶん、こっちだな」
送迎でいろんな地域へ行くうちに、ラブホテルの位置だけは妙に詳しくなっていた。仕事柄、そういう知識ばかり増えていく。
「テレビが大きくて、お風呂も広いんだよー」
もちろん、俺は部屋の中なんて知らない。桃花のほうが先に慣れているのが、少しおかしかった。
「ラッキー、この部屋空いてる」
ラブホ未経験の俺は、部屋選びも桃花に任せた。入ってみると、想像よりずっと洗練されていて、思わず声が漏れる。
「すげぇ……思ったよりオシャレだな」
「でしょ? 私もそう思った。大輝君と来たいなって思ってたんだよね」
「初めてだから、ちょっと浮かれるかも」
「私もプライベートだと初めてだよ」
先週、俺は桃花を送迎して、このホテルの前まで来ていた。地域によっては別料金がかかる。それでも指名したいと思う客がいるくらい、桃花は人気だった。
たぶん、日数を減らしているぶん、会える機会が少ない。だからこそ、タイミングを逃したくないのだろう。長距離送迎になったぶん、俺のほうにも少しだけバックがついた。
「お風呂にお湯入れてくるね」
「じゃあ、俺は弁当を開けておくよ」
この頃には、何度か一緒に寝たこともあったし、口でしてもらったこともあった。こっそりコンドームも買って隠していたけれど、出す勇気がなくて、まだ一線は越えていなかった。
食事を終え、いよいよ風呂の時間になる。
「何気に、一緒にお風呂入るの初めてじゃない?」
「たしかに。俺の家の風呂、狭いからな」
文章では伝わりにくいかもしれないが、俺は額にじっとり汗をかいていた。桃花も同じらしく、妙に呼吸が浅い。
「なんか暑いね」
「だね……」
「すぅ……はぁぁ……」
深呼吸して、どうにか平静を装う。
「とりあえず、普段通りでいこう」
「うん!」
家なら、こんなに緊張しなかったのかもしれない。けれど環境が変わると、余計なことばかり意識してしまう。
「じゃ……失礼します、って違うか」
桃花にとって、ラブホでの自然体は仕事の延長なのだろう。そう考えると、少し切なかった。
「いや、まあ……自然体で任せるよ」
桃花のサービスを受けたいわけじゃない。ただ、彼女がリラックスできるなら、それでいいと思った。
服を一枚ずつ丁寧に畳まれるのは、焦らされているようで落ち着かない。でも、その所作は妙にきれいで、嫌な気持ちはしなかった。
「パンツも下ろすね」
「うん」
完全に元気がないわけじゃない。けれど、まだ下を向いたままの俺を見て、桃花は手際よく口を寄せてきた。パンツを脱がせると同時に、舌先で受け止めて、そのままゆっくりと温めていく。
それは、客相手ならオプションにもなる即尺だった。もちろん客には事前の洗浄を求めるが、俺は一日洗えていない。そんなことを考えると少し気が引けたのに、桃花は平然と、むしろ優しく口の中で整えてくれた。
「私も脱がせてもらっていい?」
「うん」
薄いピンクの、俺好みの下着だった。
「んっ……」
パンツの上から触れると、すでに湿っているのが分かる。桃花は恥ずかしそうに俺の胸へ顔を埋めた。
「恥ずかしいから、自分で脱いでもいい?」
かなり染みているのが伝わってきた。桃花は自分で脱ぐと、パンツをシャツの下へ隠すように入れて、急いで浴室へ向かう。もちろん、俺の手を引くことも忘れない。
「あっ……ちょっと待っててね」
歯ブラシを持って戻ってきた桃花と、並んで歯を磨く。こんなに慌てている彼女を見るのは初めてで、かわいくて、どうしようもなく愛おしかった。
「下にぺってしていいからね」
先に歯磨きを終えた桃花は、身体を洗うために圧縮されたスポンジへ水を含ませる。
「先に身体を洗う派?」
「えっ……あっ! そうだよね……髪、洗ってあげるね」
初めてで緊張している俺と、デリヘルの仕事の流れが混ざってしまった桃花が、逆に慌てている。どちらかといえば冷静なのは俺のほうだった。
普段は見られない桃花の姿が、面白くもあり、少し複雑でもある。それでも、仕事中の顔がちらりと見えるたび、彼女の頑張りが伝わってきて、自然と気持ちがやわらいだ。
股の下からあっちまで洗っていくような動きは、たぶん普通じゃない。けれど、指摘したらもっと慌てそうで、俺は黙って受け入れた。
「先に身体拭いててね」
本当は俺も桃花の身体を洗ってあげたかったのに、いつもの流れでそう言ってしまったのかもしれない。髪を乾かす間に、少しでも落ち着いてくれればいいと思った。
タオルを腰に巻いたままベッドに座っていた俺も、たぶんかなり間の抜けた姿だった。
「お待たせ」
身体にタオルを巻いた桃花が隣に座ると、そのまま唇を重ねてきた。上目遣いのまま、音を立てて胸元に口づけ、自然な流れでこちらへ触れてくる。
「気持ちいい?」
「うん、気持ちいい。でも大丈夫だから、こっちにおいで」
「うん」
桃花は仕事終わりで、夕方から強行で何本もこなしてきたあとだった。休みの日と仕事の日では、身体のほぐれ方もまるで違う。
「うっ……あんっ……気持ちいい……」
その声が、少しだけ演技っぽく聞こえた。もしかしたら痛いのかもしれない。そう思った瞬間、さっきまで張っていた自分の熱がすっと引いていく。
「痛いんじゃない?」
「えっ……」
「無理しなくていい。桃花とは、そういうことをしたいっていうより、一緒にいたいんだ」
「ありがとう……実は、5本強行は痛いし疲れちゃった」
童貞の俺が言うには少し気障すぎる台詞だったかもしれない。でも、裸で抱き合えているだけで十分だった。
「明日は8時に起きよう。先に起きたほうが起こす、でいい?」
疲れていた桃花は、腕枕のまま本当にすぐ眠ってしまった。やっぱり無理をしていたのだろう。俺は彼女の髪を撫でながら、静かに目を閉じた。
正直なところ、めちゃくちゃしたい気持ちはあった。けれど、それはお互い万全なときでいい。そう思えた。
「大輝君……」
「ん?」
寝言かと思ったら、あまりにかわいくて笑ってしまう。
ムラムラしながらもどうにか眠り、気づけば桃花はしがみつくように俺の上へ跨っていた。位置だけ見れば、かなり危うい。偶然を装えばそのまま進められそうだったが、そんなことをしたら、桃花に想われる自分でいられなくなる。
それでも眠気には勝てず、そのまま朝を迎えた。
目が覚めると、下のほうがくすぐったい。
「んっ……」
「桃花?」
「大輝君、おはよう」
かなり予想外の寝起きで、思わず息をのんだ。硬くなり始めたところを、桃花は嬉しそうに見上げる。
「おはよ。おいで」
「うん」
寝ていたときのまま抱きつかれ、何度もキスを交わした。
「大輝君……」
「桃花……」
名前を呼び合って、しばらく見つめあう。長いようで、あっという間の十秒だった。こんなふうに、言葉がなくても通じる感覚は初めてだった。
俺と桃花の体勢を入れ替えると、彼女はそっと足を開いた。そこには、もう受け入れる準備ができている熱があった。俺はベッド脇のコンドームに手を伸ばす。
その手を、桃花がやわらかく止めた。首を横に振って、微笑む。
桃花は腰を少し浮かせ、入りやすい形を作ってくれた。ゆっくりと、彼女の中へ収まっていく。
思っていた以上にきつくて、やわらかくて、逃げ場のない熱だった。勢い任せに押し込めるようなものではない。慎重に、少しずつ進むしかない。
「うっ……あったかい……」
桃花は目に涙を浮かべていた。嬉しそうで、少し切なそうで、その表情にこちらまで胸が詰まる。
「大輝君の温度、ちゃんと分かる……うれしい……」
童貞卒業の瞬間に、相手がそんな顔をしてくれるなんて思ってもいなかった。
さっきまでの自信のある表情はどこへやら、桃花は少し不安そうに息を乱し、ぎこちない動きになっていく。
「気持ち良くて、いけそう……」
「俺も……」
「まって、まだいかないで……」
「初めてなんだから、許してほしい」
「うそ……」
「嘘ついてどうするんだよ」
「優しくてイケメンなのに、そんなわけないよ」
「本当だって」
対面のまま、深く抱き合って揺れた。
「ごめんね……私なんかが初めてで……」
「桃花が良かったんだよ」
「うれしい……やばっ、いく……」
桃花は、言葉で達してしまうタイプなのかもしれない。俺に強くしがみついた途端、熱が一気に締まり、逃げ場がなくなる。
「やばっ、だめ、離れて……」
「むり……っ」
そのまま、俺の初体験は予想外のかたちで終わった。
「入ってきてるの分かる……あったかい……」
「ごめん……」
「私もごめん。気持ちよくて、動けなかった」
俺は責任のなさに落ち込んでいたわけじゃない。ただ、段階を飛ばしてしまったような気がして、少しだけ気後れしていた。
すると桃花は、漏れたものを見て小さく笑った。
「私がいいと思ってるんだから、落ち込まないで」
「無責任なつもりじゃない。ちゃんと責任は取る」
「ちょっと言いにくいんだけど……私、ピル飲んでるから大丈夫だよ」
俺の中では、ピルは避妊の薬という認識だった。だから一瞬、別の意味を想像してしまった。
「もしかして、変なこと考えた?」
「いや、別に……」
「ピルって、生理周期を調整できるんだよね。だから急な生理休暇も減らせるし」
「そうなんだ……てっきり避妊の薬かと」
「まあ、我慢汁のついた手で触ってくるお客さんもいるから、避妊の意味がゼロってわけじゃないけどね」
「なるほど。でも、無責任にしたつもりはないから」
「うん、分かってる」
少ししてから、桃花はぽつりと打ち明けた。
「本当に初めてなの?」
「人見知りで、話すのが苦手なのは知ってるだろ」
「たしかに。最近は他の女の子とも少し話せてるんでしょ?」
「桃花のおかげだよ。女の子と仲良くなれたのも、イケメンって言われたのも、全部初めてだった」
「えー、絶対イケメンだよ!」
桃花は、高2のときに付き合った彼氏と初体験を済ませていて、その後は数回しか経験がないらしかった。悩んだ末にこの仕事を選び、デリヘルをしている間は彼氏も作れない、と彼女は笑った。
経験が浅いことは、なんとなく分かっていた。
ここで「辞めてくれ」と言うのは簡単だ。付き合いたいなら、口先だけならいくらでも言える。けれど、桃花の生活を考えれば、そんな無責任なことは言えなかった。
管理栄養士になりたいという夢があって、勉強時間を作るために短時間で稼げる仕事を選んだ。限られた時間の中で必死だからこそ、桃花の魅力は際立って見えるのだと思う。
それでも、ひとつの夜を越えたことで、俺たちの距離が縮まったのは確かだった。
「日数と時間、前に戻そうかと思ってるの」
その言葉には、桃花なりの決意がにじんでいた。定額を稼ぐことから、貯金を増やして、少しでも早くこの仕事から離れるために。彼女は、静かに次の段階へ進もうとしていた。

桃花と過ごした時間は、ただ甘いだけじゃなかった。仕事としての顔、素顔に近い表情、無理をして笑う癖、その全部が少しずつ見えてきて、だからこそ簡単には踏み込めなくなった。
けれど、触れ合うたびに分かることもある。無理をしていないか、疲れ切っていないか、ちゃんと自分を守れているか。そういう確認を、言葉より先に身体が教えてくれる夜だった。
桃花は桃花で、俺の不器用さを受け止めながら、少しずつ距離を詰めてくる。派手さはないのに、気づけば目が離せない。そんな相手だった。
次の休みも、きっとまた何かが変わる。そんな予感だけが、静かに残っていた。