還暦が見えてきたころ、男はふと自分の暮らしを見直した。子どもたちはそれぞれ独立し、家の中は静かになった。妻は仕事とダンスに時間を使い、休日の自分には、これといって決まった用事もない。空いた時間を埋めるように、友人の仕事を手伝うのが、いつのまにか習慣になっていた。
その仕事は、2トントラックで荷物を引き取る手伝いだった。毎回同じ場所へ向かい、相手もだいたい同じ担当者だ。何度も顔を合わせるうちに、ただの取引先ではなく、軽口を交わせる間柄になっていった。土曜日だけの仕事で、3往復もすれば終わる。無理のない働き方で、マニュアル車を操る感覚も悪くなかった。
何より、そこに杏子という女性がいた。四十前後で、明るく、体つきも目を引く。人懐っこい笑顔で話しかけてくる彼女に会うのが、いつしか楽しみになっていた。最初はそれだけだったはずなのに、心のどこかで、こんな女性と近づけたらと思うようになっていた。
九月の終わり、ようやく空気がやわらいだ夕方のことだった。その日は仕事が終わったあと、食事でもどうかという流れになった。杏子の会社と友人の会社の中間あたりに、男の実家の近くにあるレストランがあった。久しぶりに実家へ泊まろうと考え、そちらへ向かうことにした。
道中、杏子から連絡が入る。少し遅れるという。ならば実家でシャワーを浴びて待てばいい。そう思って、しばらく空き家になっている家へ入った。定期的に掃除をしていたので、すぐ住めるほどには整っている。空き巣に入られて困るような物もほとんどない。網戸にしたまま、玄関だけ鍵をかけて外へ出た。
店で合流した杏子は、仕事帰りらしいラフな服装だった。それなのに、体のラインがはっきりわかる。男はその瞬間、下半身がざわつくのを自覚した。会話は弾み、海鮮料理も酒も進む。気づけば、店の空気はすっかり砕けたものになっていた。
「今日はまだ時間あるんだけどな」
杏子がそう言うと、男は実家が近いことを話した。今は空き家だが、今夜はそこに泊まるつもりだと伝える。すると彼女は、笑いながら「じゃあ、そこで宅飲みしよう。私も泊まっちゃおうかな」と返した。
途中のコンビニで、二人はそれぞれ好みの酒とつまみを買った。誰にも気を使わずに過ごせる夜。そんな気楽さが、かえって妙な熱を呼んでいたのかもしれない。
居間で飲み始めると、杏子は驚くほど早く出来上がった。酔うと甘えたがるタイプらしい。男に寄りかかるようにして、声の調子まで柔らかくなる。久しぶりに受けるその距離の近さに、男もつい気が緩んだ。
甘えさせるうち、ふざけ半分のやり取りが、少しずつ熱を帯びていく。男が胸元に触れると、杏子は嫌がるどころか、むしろ身を寄せてきた。もっと見せて、もっと触って、そんな空気が自然に流れ出す。酔いと興奮が混ざり合って、部屋の温度まで上がったようだった。

男がためらいなくファスナーを下ろすと、杏子は食い気味に反応した。驚きと興奮が入り混じった声を漏らし、目を輝かせる。許可も出していないのに手を伸ばし、確かめるように扱いながら、やがて夢中になっていった。男も服を脱がせ、彼女を薄い下着姿にしていく。ソファの上で向かい合う二人の間には、もう言葉より先に体温があった。
しばらくは、杏子が与える刺激に身を任せた。息を詰め、肩を震わせながら、男は久しぶりに自分がまだ男であることを強く意識する。次に主導権を取り返すと、杏子を座らせ、目の前の姿をじっくり味わった。整った肌、濡れたような視線、酔いでほどけた表情。どれも、夜の静けさの中で妙に鮮明だった。
そこから先は、理性よりも勢いが勝った。体を重ねるたび、杏子の反応は大きくなり、声も熱を帯びていく。男は、若いころには遠慮していたことを思い出すように、ひとつひとつ確かめるように求めた。杏子もまた、恥じらいより欲求のほうを前に出し、夜はどんどん深くなっていった。
気づけば、時計の針は日付をまたいでいた。二人で顔を見合わせた瞬間、思わず大笑いする。いったいどれだけ時間が経ったのか、もう分からない。五十を過ぎて、ここまで夢中になれるとは思っていなかった。男自身、その変化にいちばん驚いていた。
若い体の勢いは、確かに手ごわかった。男は何度も限界を越えるような感覚を味わい、最後には力尽きるように眠ってしまった。杏子がそばで身を寄せてきた気配だけが、かすかに残っている。満たされた疲労だった。
翌朝、杏子に起こされたときには、もう外は明るかった。彼女は先に予定があるらしく、支度を整えると早々に家を出ていった。男はそのあと夕方まで、ほとんど使い物にならないほどぐったりしていたが、不思議と気分は悪くなかった。むしろ、長いあいだ乾いていた何かが、ようやく動き出したような感覚があった。
年内の友人の仕事は一段落したが、杏子との関係は続いていった。ある日は現場の裏で人目を避けるように触れ合い、別の日には遠隔で震える機器を仕込んで、買い物の合間に互いの反応を楽しんだ。以前なら想像もしなかった遊び方だったが、今の自分には妙にしっくりきた。
大晦日には、二人で少し遠出して初詣へ向かうことになった。年越しの支度に追われる街の空気の中で、男は杏子の横顔を見ながら思った。もう夜の元気は昔ほど長く続かないかもしれない。それでも、若いころに遠慮して手を出せなかったことを、今のうちに少しずつ試していけたらいい。そんな気持ちが、静かに胸の奥で膨らんでいた。
年齢を重ねると、失うものばかりに目が向きがちだ。だが、体力が落ちても、経験が増えれば、楽しみ方は変えられる。杏子との夜は、そのことを思い出させてくれた。男にとってそれは、ただの一夜ではなく、止まっていた時間がもう一度動き出すきっかけだった。
これから先、どこまで元気でいられるかは分からない。だからこそ、今のうちにできることを、無理のない範囲で味わっていきたい。そんなふうに思えるようになっただけでも、あの夜は十分に意味があったのだろう。