妊娠がわかってから、妻の体は少しずつ変わっていった。けれど、私の目には、むしろいっそうやわらかく、静かな光をまとって見えた。細身の体つきはそのままだったが、以前よりも肌の色がやさしくなり、輪郭のひとつひとつが穏やかに感じられた。
ある夜、私は思い切って言った。「この時期の姿、残しておきたいんだ」
当時はまだ、今のように手軽なスマートフォンがある時代ではなかった。結婚のときに少し奮発して買ったビデオカメラが、棚の奥に眠っていた。特別な記録として、妊娠中の妻の姿を映像に残したい。そんな気持ちだった。
正直、断られると思っていた。妻は昔から控えめで、照れ屋で、自分の体を人前にさらすことには慎重な人だったからだ。ところが、返ってきたのは意外なほどあっさりした返事だった。「いいよ」
その一言に、こちらのほうが拍子抜けした。さらに、念のため確認してみた。「見せたくない部分は映さないようにもできるけど、どこまで残していい?」と聞くと、妻は少し考えてから、「任せる」と答えた。恥ずかしそうにしながらも、どこか私を信じてくれている顔だった。
撮影の準備をしながら、私は何度も妻の様子をうかがった。無理をさせたくなかったし、途中で気が変わるなら、いつでもやめるつもりだった。だからこそ、最初にきちんと確認した。撮る内容、残す範囲、後で消したくなった場合の扱い。曖昧にせず、ひとつずつ言葉にしていった。
妻は浴衣を選んだ。妊娠中の体をやさしく包み、かといって重たく見せない、落ち着いた色合いのものだった。下着は身につけず、あくまで自然な雰囲気で残したいという希望もあった。私はカメラを三脚に据え、部屋の明かりを少し落とした。強すぎる光は、せっかくの空気を壊してしまう気がした。
最初の数分は、ただ立ってもらい、ゆっくり向きを変えてもらった。正面、横顔、後ろ姿。少し歩いてもらい、座ってもらい、手を膝に置いてもらう。何気ない動きなのに、映像にすると、その時期にしかない静かな重みがあった。お腹のふくらみも、表情のやわらかさも、どちらも愛おしかった。
妻は途中で何度も笑った。照れ隠しのような笑いだったが、私はその笑い声まで残したかった。カメラの前で固くなるのではなく、少しずつ慣れていく様子も含めて、ひとつの記録にしたかったからだ。
「ちゃんと映ってる?」と妻が聞く。私はモニターを見せながら、「大丈夫。きれいに撮れてる」と答えた。すると彼女は安心したように肩の力を抜いた。そういう小さな反応が、映像の中ではいちばん生きる。
やがて妻は、浴衣の裾を少し整えながら、こちらの指示に合わせてくれた。立ち姿だけでなく、椅子に腰かけた姿、窓辺に寄った横顔、手をお腹に添えた姿。どれも派手ではないのに、見返すと胸に残る。私はそのたびに、撮影しているというより、時間そのものを預かっているような気持ちになった。
途中、妻は「こんなふうに残すの、少し変かな」とぽつりと言った。私は首を振った。「変じゃないよ。大事な時期だからこそ、ちゃんと残したい」
その言葉に、妻は少しだけ目を伏せ、それからうなずいた。そこから先は、もう迷いはなかった。カメラの前に立つことにも、見られることにも、少しずつ慣れていったようだった。
私は撮影のたびに、妻の体調を最優先にした。長く立たせない。疲れたらすぐ休む。気分が悪くなったら中断する。妊娠中の記録は、何より安全と安心が先にある。だから、華やかさよりも、穏やかな空気を大事にした。
後半になると、妻の表情はさらにやわらいだ。最初の緊張がほどけ、カメラを意識しながらも、どこか自分らしい顔を見せてくれるようになった。私はその変化がうれしかった。無理に作った姿ではなく、その人自身のまま残せた気がしたからだ。
撮影が終わるころには、部屋の空気も少し変わっていた。静かだったはずの空間に、ふたりだけの温度がしっかり残っていた。私はカメラを止め、すぐに映像を確認した。映像はきちんと残っていた。少し照れくさくなるほど、妻の表情も、声も、やわらかな雰囲気も、そのまま入っていた。
妻はモニターをのぞき込み、「本当に撮ってたんだね」と笑った。その笑い方は、最初の照れとは違っていた。少し誇らしさの混じった、落ち着いた笑顔だった。
ただ、残しておく以上、扱いには気をつけなければならない。私はその日のうちに、映像をパソコンへ移したあと、外付けの保存先にも複製した。どちらにもパスワードをかけ、簡単には開けないようにした。さらに、持ち歩く必要のないデータは、暗号化して保管した。見返したいときだけ開き、不要になれば消せるように、整理のルールも決めた。
妻にも、あとから消したくなったら遠慮なく言ってほしいと伝えた。記録は残すためのものでもあるが、相手の気持ちが変わったなら、その意思を優先するべきだと思っていたからだ。撮る前の同意だけで終わらせず、撮影後の扱いまで話し合っておく。そのことが、いちばん大切だった。
あの日から、映像は何度か見返した。けれど、回数を重ねるほどに、単なる記録ではなくなっていった。そこにあるのは、妊娠した妻の姿と、その時間を大事に残そうとした自分たちの気持ちだった。
今でも思い出す。あの部屋の灯り、浴衣の色、妻が少し照れながら笑った表情。派手な出来事ではない。けれど、あのときの映像は、ふたりにとってかけがえのない思い出になった。
そして何より、残してよかったと思うのは、映像そのものよりも、撮る前にきちんと話し合えたことだった。相手の同意を確かめ、無理のない範囲を決め、保管方法まで考える。その積み重ねがあったからこそ、後悔のない形で記録を残せたのだと思う。
今振り返っても、あの夜は静かで、やさしくて、少しだけ特別だった。妻の体は確かに変わっていたが、その変化の一つひとつが、ふたりの時間を深くしてくれた。映像は、その証のように今も手元に残っている。
ただの記録ではない。あの時期を、ちゃんと見つめた証拠だ。
だからこそ、私は今でもあの映像を大事に扱っている。鍵をかけ、必要なときだけ開き、妻の気持ちを最優先にしながら。
そうして残した思い出は、年月がたっても色あせなかった。むしろ、時間が経つほどに、静かに深くなっていった。
あの一夜は、ふたりの記憶の中で、ひとつの節目として今も息づいている。
そして私は、映像を見返すたびに思う。大切なのは、撮ることそのものではなく、相手を尊重しながら、その瞬間をどう残すかだったのだと。
その答えは、今も変わらない。
妻と交わしたあの約束があったからこそ、私たちは後悔せずに、あの時間を思い出として抱きしめていられる。
静かな部屋で始まった撮影は、やがてふたりの記憶を支える小さな記録になった。そこには、恥ずかしさも、信頼も、やさしさも、すべて映っていた。
今ではそれを見るたび、あの頃の空気までよみがえる。妻の笑い方も、少し伏せた目も、ゆっくりとした呼吸も。
何気ないようで、忘れがたい夜だった。
その記録は、これからも大切にしまっておくつもりだ。
そして、もしまた同じように残したいと思う日が来たなら、最初にするのは撮影ではない。きちんと話し合うことだ。
それが、いちばん誠実な始め方だと思う。